昨日は陶芸の日。
焼いてもろた陶器の箱の中に、大きな顔して、デデーンと鎮座する箱入り娘の胡瓜は。
陶芸の先生のご主人であり、木工の先生が畑で作らはった、無農薬野菜の胡瓜。

胡瓜は、まるでお化粧下手な、今朝の私のお肌みたいに、うっすらと粉を吹いている。
私の肌は緑色じゃないけれど(笑)😊
でもそれは、年寄りの肌とは全然違う粉吹き具合なの。
内側に何かが満ち満ちている、その容姿端麗に、うっとりしてしまう粉吹き具合の胡瓜なの。
なんと瑞々しく美しく可愛い緑色。
粉吹きの内側に、何が満ち満ちているのでしょう。
それは、あとでわかった。
お弁当の時、工房の流しで洗って、そのまま何もつけずに、パキッかじりしたら、むちゃくちゃ甘くて、美味しい。
その、美味しさに驚き喜ぶ時、緑滴る満喫時間そのものが、満ち満ちてたんだ。
先生んちの工房だけど、お弁当時間は私一人の無言の世界。
亀岡の自然の広がりが、私の胸に食い込んで来て、襲ってくるぐらい、怖いくらいに瞑想を誘うような場所で。
訳もなく、何故か?
切ない、悲しい、嬉しい、楽しい、あらゆる心の原風景にさ迷う感情が、襲ってくるん。
結局、陶芸に惹かれて、遊ばせてもらいに、再び、戻って来ました。

陶芸の先生は、私よりも年上ですが、美魔女で。
これまでも、多くの学びをくれた方。
自分の思いは、イコール学びになるんやなぁ。
江戸っ子でもないが、「学び」という言葉、ダサめに感じる私。
説教臭いのも、ケッて思う。
そうなんやけど…
やはり、人生は学びの連続やわ。



