「お手伝いできないからと言って、参加できないと思わなくていいよ」

陶芸の先生が、そうおっしゃってくださり、イベントに、お人形達だけ参加させてもらうことにになりました。

私は事情があり、イベント参加できなくなった旨を、話した時のことです。




「てとて」で、私の作品に出会ってくれた方達、興味を持ってくださった方々に向けてのちらし。

昨日から、手描きの作品説明のちらしを、急いで作成。


今朝、久しぶりにコピー機で、大量印刷にいそしみました。
充実感を感じて、嬉しかったです。


コピー機使用は久しぶり、純正のインクでないばちがあたり、ノズルが詰まってたみたい。

インク全取っ替えしてもらって、強制クリーニング繰り返して、やっと使えるようになり、一安心しました。

機械まったくだめな私なので、じいじにへこへこしながら(感謝しながら、とも言う)コピー機の調子見てもらう。

ふうー、てんやわんやでした。


ずーーーっと、こんなこと、私は「もう、できないかも知れない」あわせて、思う。
なるようにしかならないのだから、流れに逆らわずだらだら楽しく怠けよっと❤、と、思っていました。


なのに、何故だか、やり始めると、意外とスイスイ進み、「楽しい」だらけで用意完了。


こういう一連のあれこれを、仕事ととらえた事がない。



私は、こういうお店屋さんごっこが好きなだけなのだろうか。

「リズナ」ブランド、自分一人運営ごっこに過ぎない。

歌も、シンガーのつもりごっこに過ぎない。


考えない。

楽しくやれて、好きなのだから、それでいいのだ。



気温が上がって、温かくなり、動きやすくなったのが、嬉しい。
右腕を動かすのに、痛みがいくらか軽くなったのが、ありがたいの。

世の中が、気温が寒いままだったら、きっと、右肩あがらず、手が動かなくなってたかもしれない。

動かないと!だめって事ですね。

要するに、怠け過ぎてました。
猛省。


そして、あわせて色々思うん。

毎日美味しくない物を食べていて、たまに美味しいものを食べた時、むちゃくちゃ幸せであったり、感動したりするのではないか。
毎日貧しくても、たまの贅沢に、特別感で脳みそが破裂しそうになるぐらい、ありがたいとか、嬉しい、気楽、解放感味わいかみしめる、とか。

毎日守られて軟弱な動物園のライオンと野生のそれでは、色々と違うのだろうと思う。
人間も然り。


野生で生きる厳しさ辛さ、何か逆の条件付けがあることの方が、幸せだと感じる喜びは大きいのだろうな。

想像してみるだけの、実体験なくては、本当に生きた意味にはなりませんよ
、と、子供たちに大人は諭すけれど。

果たして自分は大人なのだろうか。

年齢的にはええ大人や。
中味あかんね。
猛省です。


しかし、人間社会全体、日本という法治国家内で生きるええ年のばあさんの幸福、と、なると、また求める趣旨が違ってきて、もう、あんまり考えるのやめよ、複雑でわからんわ、に、なります。

自分のほんの先の未来予想、立ちません。


昨晩、楽しみにしていた連続五夜特別テレビ番組、岡田准一くんの「白い巨塔」を観て、そのあと偶然お気楽ナース番組「白衣の戦士」(中條あやみちゃん変顔頑張れ👊😆🎵)も観て、テレビって楽しいな、両極やんな。

病院という舞台はおんなじなのに。

テレビは、社会は、この選択肢あり、が、社会の幸福なのだ、それがいいのだ。