昨日は、桜で有名な吉野へ、日帰りで行ってきました。

早い!
京都から観光バス利用して、およそ1時間半で、現地到着。
たぶん整備された高速道路のおかげ。





一目千本で有名な場所なのだけれど、
全く全くのまだまだ、咲いとらんでねーの⤵

早すぎたのね。
そのわりに、人出はすごいし、駐車場も混んでる。

本番の混み具合は、これ以上、という事なのね、と、察する他ありません。

最初はね、🅿の回りに植えられた桜は満開中で、あたり一帯を桜色に染めている、という目の情報で、先ずワクワクしていたの。

下車した際の、その桜色の澄んだ空気を胸いっぱい吸い込み、嬉しさで満たされて少し歩き、しばらくすると、現実を知り胸萎んだ、って感じ。




仕方ないから、野のすみれを撮って、気を紛らわしておりました。

桜の芽吹きは、感じられましたよ。



昨日は、朝早く起きたし、到着の30分前に、目が覚めたら、もう綺麗なファーマーズタウンが、車窓からの眺めでした。

吉野は。

いや、吉野へつながる、既に周辺の道すがらから、感じていた。

何なんだろう?この不思議さ。


とてもひなびた、気持ちの良い田舎なだけ、そんな風景なだけなのに、何故か何故か、凛とした感覚を受けるのは不思議で仕方がありません。


私だけかな。


緩くない、というか。
雑草が少ないせい?
だらしなさを感じない、貧乏くささを感じない、というか。


昔から農業を軸として、根づき、粛々とした生活が続いて来てるのかなぁ。
こういうのを、場が清まっていると言う表現になるのかなぁ。


とあるおうち。
農家さんじゃないと思う。
ほんのほんの、もんのすごく小さな、(こんな事言っちゃいけないかもだけど)小屋のような、ぼろやなご家庭な感じ、誰が住んではるのかしら?


美しくもハイセンスでもない、小さなもっさい小屋のような家なのに、その横に、「小さくて、可愛い、手入れされた畑」があり、そしてその後ろには大きな竹林の山。


森のほとりの小さな家に、おじいさんとおばあさんが住んでおりました、という
昔話みたい。


家のダサさと対比される。
小さな畑をちゃんとこさえて生活してはる、という所に律を感じ、敬意が生まれる。


奈良は、京都よりも古い都で、京都のきらびやかさとは異なり、のびやかでおおらかさがあり、奈良を訪ねると気持ちが良い、と、故梅原猛(京都の学者)も、そんなことを新聞のコラムで書いてたのを、ふっと思い出す。


私が過去に伊丹に住んでいた時、おつきあいのあった、風流人生まっしぐら松平のおばちゃま、という、個性的なマダムも言うてはった。


京都のカルチャーを勉強しつくして、次は奈良に行き出すと、奈良ののびのびとした明るい風通しの良さ、雰囲気、虜になりますわよねーぇ!
えらい漆器作家さまと、ねーぇ!って、二人で顔見合わせて、首をコックリコックリしてはった。


昨日の吉野の桜は、皆無。
まだまだでした。
自由時間も余り気味。

金峯山寺蔵王堂の特別御開帳。

蔵王権現三体の、ド迫力のブラック。
ワイルドでものすごくかっけー!!
祈祷と言うのか、読経と言うのか。
太鼓と法螺貝、大迫力で、いつもよりぎょうさんめに吹きまくってくれてはった。


私は、特別宗教にこだわる人間ではないけれど、仏像、神社やお寺を観るのが好き。

昨日のブラック御三体は、特別、忘れられません。
ジャニーズ系ではなくて、Jソールブラザーズ系の、ちょっとワルそうな御三体で、お会いできて嬉しかった。