私は、何かを作るとき、「可愛い」というくくりで、ごまかしてる。

「可愛い」くなったら、その時は、上手いことごまかせた、と、喜ぶ。




始めから、こういうのを作ろうと、決まっていない。

やり始めると、何となく、最後は出来上がる。





では自分は、何が「可愛い」と、思っているのか?

何にでも、ありとあらゆるそこらへんに、「可愛い」は、潜み、落っこちていたりするので、ありとあらゆる所にありふれて、「可愛い」は、存在する。

クリムトの絵の中のお花を観ても、「可愛い」し。

物とかの形がない、現象と雰囲気全体にも、「可愛い」がある。
例えば、サンキャッチャーで、お部屋の中に小さな虹が見えたら、「可愛い」状況、雰囲気、なのである。

また、それを含む部屋全体、「可愛い」お部屋、に、なるし。

小鳥の鳴き声が聞こえて来たりしたら、
「可愛い」時間をすごせた、という言い方もできる、と、思っている。

二枚目はって手芸家ですモードの方々からしたら、こんなん刺繍と言う資格がない、って、言われそう。

言い訳、詭弁かも知れませんが、私は、楽しい😆💕✨が、作品にこもっていれば、それで良い、と、勝手に思って、今日も、喜んでチクチクしています。
買いもしないテレビshopping観ながら。
(精進は、続けますので、お許しくださいませ)


TVshoppingは、たまには、心動かされ、つい誘惑に流されてしまいそうに、なる時もありますが。
「ごみになるだけ。必要でないものは、買わない」と、葛藤に打ち勝ち、再び、ただテレビを、眺めるだけに、徹する。


この、くだらない時間の過ごし方自体が、くだらなくも平和で満たされ、「可愛い」時間経過であった、と、深く認識。