ラスチャキオピアンガ。

ラスチャキオピアンガとは、有名なイタリアのクラシック歌曲。
オペラの中の曲で、少曲ながらめちゃめちゃ有名な名曲。


きっと、わしゃ日本人じゃ、イタリア人ちゃう、イタリアのふっるいクラシック声楽曲なんか知らん!というようなどなたでも、何でか知らんけど聞いた事ある~!と、言わはるぐらいだと思います、的な、そんな有名曲がこれ。


私が過去に、ちょびっとだけ声楽を習った時に、一番最初に買った全音のイタリア歌曲というテキストブックの、最後の方に、載ってた曲。

一番最初に習った曲は、ビオレッテ(すみれ)、そして、その2~3曲後に、このラスチャキオピアンガをしましょう、と、先生が言わはった。

バースがとっても劇的(オペラの中の曲やもん、当たり前である)、素敵やんかいさ、かっこええやんかいさ、これ一曲で私もオペラ歌手ごっこができそうやんかいさ。

一人遊び大好き人間なので、ノリノリで練習した思い出曲。


私は、音楽(そんな大したレベルやない)言うても、あんまり知らんし、今、再びレッスン受けるようになって、楽しいけど。

世の中には、いっぱいいっぱい歌があって、人類はメロディラインなんて、18世紀には出しつくしてる、と言われてたりなんかしている。


それでも、人間が生み出す楽しい文化には、何かしら流れがあり、その流れのそれぞれが、様々な発展なり、その流れ固有の景色を持ち、やっぱりそれは、人類の文明に内在しながら、どこかわからない所、果てしない所へ、前進して行ってる。


果ては、宇宙という海に流れて行くのでしょうか?
知らん。


コードなんて知らんもん。
若い人達の、速い曲なんて知らんもん。
スウィングとか、先生から、リズム感がないというより、むしろ、
リズムそのものがない、と、言われたりしたことあり。
ごもっとも。

私の見たり聞きかじったりする音楽風景を、自分の中で深く味わえて、楽しければ、それで良いのだ。
全て、自分なのだ、と、思えるようになりました。




ところで、今日は、激寒いです。
京都盆地を囲む山々が全て真っ白く雲にけぶって見えません。
盆地の中は☀晴れているが、見ていると、ずっとちらちらと、(風花舞う、という感じ)細かい雪が風に吹かれて、時間が経過している。



近所は静か、やけど、時々✈飛行機の音や、小鳥の鳴き声がします。
この、安普請の我が家、家の中でもなかなか温まらずさっむ!!な状況、と、可愛らしい雪の精さん、ちらちらと風に舞いながら、どこに行くの?そんなのの、目に入る情報さえ無視(できるのか?)さえすれば。


世の中、とても明るく感じる空の色。
サンキャッチャーを通してちっこい虹が❤

スマホを操作する指は、ずっと、かじかみっぱなしだけど。
ガラス越しに、ちっちゃいちっちゃいうちのお庭を眺めてると、目を癒す安物パンジーの色がとても素敵。

うちの年金生活を反映して、ケチって、スカスカに植えてるパンジーの可憐さは、かえってシャッキリとたくましく誇り高く、それはとてもとても、いとおしく感じる美しさなのだ。



自分の中に向けていた目を、空に移すことは、気が明るく、肩も軽くなってとても良い。

ラスチャキオピアンガ、和のタイトルは、「私を泣かせて下さい」です。


私は、泣いたりしない!


音楽の流れ、美の流れは、政治経済の流れに大きく影響されて進みますが、そんなの関係ねー!だって、あり!です。


例えばこうやって、京都盆地眺めながら、空の色を楽しんだりしている時。
空の色に感動しながら、あらゆる感想を持つ自分、を確かめられるのは、ありふれていて。
こんな気持ちで空眺める人は、どこにでもいっぱいいて、たぶん、何百年先でも誰でもやってる、普遍なシチュエーション、な、気がする。


これは、私だけの感情、と、思っていても、こんなありふれた、しかも、幸せな事ないな、何百年前の人とも、先の人とも共感できる行為なのだと、気づく。


もちろんもちろん、ガラス越しに寒い世間を見ている、お部屋はエアコンと床暖である事にも、もちろん感謝。


それでも、私を泣かせて下さい、は…


昨日は、姑の通院介助。


否定しても、何度もよみがえって、思い出してしまう。
ずっとしつこく、お金ちょうだい、三千円ちょうだい、と言う姑の声。
特養です、あかんに決まってる…
施設から電話もかかってきて、お金も、そのほかの事にも、いつも怒られてばっかり。


姑は、お金の必要な理由を、あの手この手のウソ話をでっち上げて、平気で並べまくり、聞き入れず、へこたれず、まるでタイ観光ツアーの宝石屋の店員みたい。


夫がキレて病院の待合室で、けんかし出し、人生いつも帝王、声も態度も耳だってダンボのようにデカい姑は、負けない。
芳朗のケチ!!の連呼。



私は、噛んでふくめるように、保育士バイト経験活かしてなだめすかす。



誰だって自分が痴呆になりたいなんて、思っていない。
ましてや進めば、その自覚はどんどん薄れ、自己万能感自信過剰満々の赤ちゃんになって行く。


昔はそこまで命がもたなかった。
今は、みんな90歳代でも、身体だけ元気。



ありがたい事に、至れり尽くせりの特養に入居させてもらい、ものすごく手厚く、若い介護師さん達のサポートのお陰で、ムーミン村のように気楽に暮らしてはる。


私も将来、あそこの入居者のようになるのかな。
何ひとつ不満はないように、見えるけれど。


姑は不平不満ばかり、会えば、こぼさはるばかりです。