久御山イオンの十字屋さんで、今年の8月から、ボイトレレッスンを、受けています。
喋ってばっかり。
たぶん、カウンセリングしてくださっている。
先生、ありがとう😆💕✨ございます。

大野綾子先生というお若い先生に習っています。
ゴスペルグループの指導もなさっているみたいです。
レッスン再開の一曲目は、オープンアームズというのん。
昔、ジャーニーという人が歌ってはった曲で、短いけど盛り上がる曲として、定着しているみたいです。
私のような、めちゃくちゃでええかげんな奴が、生徒で、先生すみません、です。
これから何度も、捨て台詞のように、
「自由な奴」と、のたまわせてしまうのでしょうか?私は。
いいえ、そうであっては、なりません。
物凄く奥深い、大切な自分の壺中の天を、自己否定するのも、避けよう。
ただただ、音楽の世界にぶら下がって腐っていくのでは、いけない。
紆余曲折あるやろうけど、できるだけ美しく、遠近法の消失点まで見据えて、大切に、作品に向かい合って、作り、造り、創り、自分オリジナルの、3Dの絵画を描いていこう、歌でね。
そして、その歌は、心の中の、可愛い可愛いクローゼットの引き出しに収納してあるねん、的な世界。
イメージは、マリー・アントワネットのプチトリアノンに置いてあった家具。
もう、めっちゃハイセンスでおされで、可愛い、力強い魅力あるクローゼットなんやもん。
ふふ、好きな事を言うてるのは、脳みその快楽。
何の為に?
再開一曲目が、オープンアームズ。
今月、アメリカから次女家族がアメリカを引き上げて、帰って来る。
両手をひろげて(オープンアームズ)、愛をこめて、迎え入れてあげられる、親になる。
小さい頃から私は、何の為に音楽を続けて、そして今も固執し続けているのだろう?
全然わからなかった。
何となく今、胸の中に、温かいものでうめられていくような感じが、じわじわと。
これを、感謝という概念なのか?と、思ったり、その充足感効果が嬉しくて、泣きそうだったり。
泣ける時に、いっぱい泣いておこう、て、思ったり。
ええ年の婆さんが、泣いてへにょへにょしてても、先に行くのが遅れるだけ!
老い先短いんや。
ちゃっちゃとせぇ!と、自分に声かけたり。
その、全ての営為が、感動するし、嬉しいのです。