昨日、2月5日金曜日の15時半ごろ、
亀岡の出雲大神宮に、行きました。
お正月から引き続き、
きれいなピンクの梅の花が、
枯れずに咲いていて、
この分だと、まだまだ咲き続けて、
お参りに来た人々の心を、
ほっこりさせてくれる事でしょう、と、安心もしました。
お正月に来た時、もう咲いてるのを見て、
目をむいて、
「早過ぎっ!!」と、思たけど。
この出雲大神宮の近辺には、
ようくようく、来る機会があります。
その用事の、ルーティンワーク関連エリアから、
我が家への帰途に、
「ちょっと、寄ってく好きなところ」が、
出雲大神宮さんで、
けっこう、
ひなびた環境の中にあって、立派な社殿だ。
白い襟をつけて上る、かわゆいお山が、
けっこう、
凛と、引き締まる強さだ。
けっこう、けっこう、
な、ところなので、ついつい、引き寄せられて、
お参りに行く、という感じです。
「今度、お水をもらいに、行って見ようか。」
と、じいじが、言うので、
で、10リットルの、タンクを持って、
お参りの帰りに、お水をもらいに、行ったのです。
神社縁起によると、もともと丹波にあった神社が、
今あるここに、移された、と、あります。
大昔、戦いに敗れて逃げ伸びてきた人々の、
住む隠れ里だったのかもしれない。
その逃げ延びてきた人々の、暮らしを助けた水。
じゃんじゃん流れる、清らかで、やわらかなお水。
昔の人々の生活に、
なくてはならぬ、天の与えたもう宝の場所。
こんこんと、水が、流れ出て止まらないのだもの。
そりゃ、大切にするわ、崇めるわ。
うって変わって現代。
お水は、タダでもらえます。
皆さん、
あほほど、タンクをいっぱい持ってきて、汲んではる。
お賽銭、ふんぱつしてるの?
恥ずかしくないの?
自分なりの、神様とのつきあい方。
10リットルの掟?が、まあまあ常識かなあ、と思うのですが。
事情は、わかりません。
あほほどタンク諸氏が、氏子のお宅ならば、
毎年の上納も、いかばかりか、と、思います。
また、ジモッティならば、昔から、
子々孫々受け継いで、慣れ親しんだ習慣だ、何が悪い、と。
汲みに来てはるのは、
金曜日の、午後、
ほとんどが、じいさんばあさん、年金生活者であります。
我々も、じいさんばあさん年金生活者ですが。
最近、自分に思う、
年は重ねても、
重ねたミルフィーユの断面はいびつで、
誰しも、けっして、大人ではない。
悲しい事に、
どんどん、幼稚になっていきます。