私の作品の中で最近よく頼まれるのが、エコBAGと称する、白地シーチング生地がベースの
長方形のかばんです。

夏休み前からオーダーを受けていた2枚のうち、1枚を11日に完成。
あともう一枚、頑張ろう・・・って昨晩から思いはじめました。

一枚一枚、少しづつ少しづつしかできません。
何故でしょう?
手が遅いし、プロセスの一段階毎に考え込むからかもしれません。
気分転換と称して、食べてしまうのも何よりいけません。
生意気にも、特に描き描き部分など、鑑賞を期待、意識するので、
構想時から制作中、自分が楽しいのと同時に、あまりの天然な、つたない描き描きを見る時、
罪の意識にも似たうしろめたさに苦しむこともしょっちゅうです。
やりはじめて、うまくいかなくて、従ってお待たせしてしまう事はもちろん、
「構想中」というくせ者の期間がとても長くて、自分でもいやになります。

「構想中」、どのように暮らしているのか?
そんなもんおばはんの、至って平々凡々としたおばはんの日常生活を過ごすのみ、
しかないに決まってるやんけ、なのですが。
日本やし、有事の際ではありませんから、至って平和裏に時は流れていきます。

しかし、こんなおばはんはおばはんなのですが、チリッって、頭に浮かんでしまいましたのさ。
エコバッグに限らずなのですが、生きた証として、私は色々なものを作っていこう、と。

これっくらいのもんで生きた証て、ケッあほくさ、大袈裟やなぁ、と思われる向きもいはるでしょうが。
長年の老老介護担当、生き物係な人生街道は、やっぱり平坦な道のりとは言えず、
そんな思いに、共感してくださる向きもいはるか、と思います。

人が生きてきて、耐用年数過ぎて、電池の中身が漏れてきてたりする。
自然な姿に戻っていくという事の意味や、
家族親族であっても、人それぞれの生き方価値観はそれぞれ違う、
という事に、いやでも、感づいてしまう。
あれこれ考えるのはよそう、と。

自分の、今の内はまだ、誠意、とか、人の喜ぶ顔を見るのが好きだから精一杯する、とか、
そんな性善説的な裏打ちを、表層の美辞麗句としてではなく、
私の信条的真実として、作品に盛り込める間は、そうしようと、思う。

でも、おちゃらけキャラの私の、軽いしゃべり方はあかんみたいで、
なぁ~んかいっくら言うても、ちゃんと伝わってへん気がするねん。
ま、あれこれ考えるのはよそう、と。

描き描きに関してのだめだめデッサン力有無&向上の為の御託並べや言いわけは、
また今度にいたしましょう。

このエコBAG、
荷物を入れる機能としては、けっこう丈夫で長持ちしまっせ、ええ仕事しまっせ、的なやつです。
平凡かつシンプルな形状でありながら〈実はそんな程度のソーイング技術しかないもんだから)
そこに凝りに凝って、描き込んだり、レースやテープやリボンや皮革を切ったり貼ったりしまくります。

色々なパクリ、いや、仕掛けあり、遊びあり。
作業は楽ではありませんが、とても楽しい。
このような一連の作業は、人間の脳みその喜びに密接であるから、
独りよがりになりがちです。
作ってて、ただ、楽しいだけではあかんのや、って、気づかせてくれた人がいて。

自作品が客観視できるようになれますように、そのためにも、
これから、場数を踏んでいかねばなりません。
エコBAG進化系の快進撃は続くよどこまでも、って、願うよ。

エコが、エゴBAGにならぬよう、気をつけながら。