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4年前
「メシ友」だった夫さんは大酒飲みで、酔う度に
「はるちゃんに俺のマンションを残したい」と言ってた。


母と同年代の夫さんは私にとって「親戚のおじさん」のような存在でしかなかった。
「マンション残したいって…それって結婚して相続したいってことなのか?
 何言ってるんだろう、このおじさん」
くらいにしか考えてなかった。

(夫さんの友人たちの前でも、酒量に関わらずよくこの話をしていたそう。)

「楽しいし、いい人なんだけど酔うとめんどくさいなぁ。泥酔する前にお開きにしよう。」
私はそう対応していたけれど、彼は本気だった。



「親と変わらない年齢の人と結婚するって、介護が増えるだけじゃん。貯金もないくせに。亡き後の遺産(マンション)より、生きてるうちのことを考えてほしいわ。しかも恋愛対象としてみれないし」
とスルーしまくってた。
夫さんはお気楽ポジティブなので
「俺はぽっくり死ぬから、なんの問題もない」と本気で言ってた。(今もその考えは変わらず)


そんな日々が数か月続いたある日。

5/26 土

 


浅草から船にのって花火を見に行った。

(最後に入ってる声は近くに座っていたグループの方々)

 

 


脚を傷めながらも、あれこれ私のためにしてくれて、料金も払ってくれた。
「夫さん、今日は本当にありがとう。チケットまで甘えてしまったのに、脚まで悪くなっちゃって…」
私が言うと夫さんは
「こんなのなんてことないよー。料金だって。
はるちゃんがこんなに喜んでくれて、楽しんでくれたら大したことじゃないよ。俺もうれしいんだから。」
と言ってくれた。

それを聞いて
「あぁ、こんな風に言ってくれる人はもういないだろうな
こんなに私のこと好きになってくれる人はもういないだろうな」
と、夫の結婚の意向をお受けする気持ちになった。


持病のことは以前から匂わせていたが、きちんと説明。
世の中にそういう病があることは知っていても、夫さんの周りにいないし、どういうものかよくわかっていない。
夫さんは持病の件は「何の問題もない」とあっさり受け入れた。
「俺といれば治っちゃうよ!」と言われたが、「そういう問題でもないんだけどなぁ」が私の感想。



6/2 土
正式にプロポーズしていただき、

6/17 土
区役所で籍を入れ、その足で新婚旅行の予約をした。


「メシ友」だったけど男女として交際していたわけじゃない。
ほぼ交際0日婚

それから今日で丸4年が経ちました。


たった4年だけど
私が転職したり、夫の給料が出なくなったり、いろんなことがあった。
お互いの性格やそれぞれの生家のこと等々、いろいろ知ることで相手に対する理解も深まった。
喧嘩はよくするけどお互い大好きだし、本当に結婚してよかったと感じています。

貯金ブログ的には
-80万円(借金)から460万円まで貯金()できたのは夫のおかげです。


これからもふたりの時間を大切に、お互い助け合って仲良く暮らしていきます。



今日はのろけ記事におつきあいいただき、ありがとうございました。