万葉集に、「吾妹子(わぎもこ)が額(ぬか)に生(お)ひたる双六(すぐろく)の牡牛(ことひのうし)の鞍の上の瘡(かさ)」(私の愛しい女の額に生えた双六のような、牡牛の鞍の上の腫れ物)、「吾が背子が犢鼻(たふさき)にする円石(つぶれし)の吉野の山に氷魚(ひを)ぞ下がれる」(私の愛しい男が褌にしている丸い石のように、吉野の山に鮎の稚魚がぶら下がっている)という歌がある(巻16: 3838, 3839)。これは、ナンセンスな歌を作った者に褒美を与えるという舎人親王の命令に対して、大舎人安倍朝臣子祖父(あべのあそみこおぢ)という人物が献上したものである。文法上も和歌の形式上も問題なく正しいが、ナンセンスである。
自分にとって
もっとも鮮烈なナンセンスの巨匠は
谷岡ヤスジさんなのですが
万葉集の頃から日本人はナンセンスが大好き
と言うのが興味深いです。
その他の議論の余地のある"無意味な発話"としては、意味をなし文法的でもあるが、実世界の現状に指示内容が存在しないようなものがある。「フランス国王は禿げ頭だ」のような文である。それは今日フランスに国王は存在しないからである(確定記述を参照)。
こどもの頃はどちらかというと
見てはイケナイもの見た感が
強かったのですが
谷岡ヤスジ傑作選天才の証明
大人になるにしたがって
冷ややかにみてた部分が徐々に薄れて
素直に天才と思えた。
スゴイのは
一コマで時間の流れを現すセンス。
夕暮れの🌞の歪みと滲みが
一筆で表現できてる冴え✨
(いやぁ 今もう一度みると
歪んだ夕日でなく雲かな?
観る人やタイミングによって
何にみえるか変わるなら
マーク・ロスコの境地だ。スバラシイ🥰
6月9日20時54分追記)
内容はともかくとしてꉂ(ˊᗜˋ*)
一コマなのに動きと時間が存在してる。
ムービングのデッサンを近年やってると
本当にそう思う。
誰も谷岡さんの絵をみて
脚が5本ある人と思わないでしょ?
異形の人体の具象作家としてみることが
できる数少ない漫画家だと思う。
20年位前から
ナンセンスな造形物つくると
「ヤスジ」出来た!
とか言ってたけどꉂ(ˊᗜˋ*)
(及びませんが)
本物みたことないけど
どんな人だったか興味あります。
こういうのはAIは描けないし
フォントにしても文字組み合わせでバランスが
変になっちゃうからムリだとおもうんです。
全然知らないけど
谷岡さんがアシスタントをしてた
わちさんぺいさん
「釣りキチさんぺい」では?(≧∇≦*)
谷岡ヤスジさんもよく釣りの絵あるけど
わちさんの影響?