山本太郎が言ってたように
高齢者が居なかったら
田畑の管理は誰が?
米や農産物の自給率減るよ。
そして、大好きだったおじいちゃんおばあちゃん
庭木の手入れが得意なご近所の御隠居さん
こどもたちとベーゴマや水鉄砲で遊んでくれる
お爺ちゃん。
そんな人たちが居なくなったら
日本の文化が消えると思う。
お葬式やお別れ会一切なしというのも
意外とストレスだと思う。
関係性や人によっては
トラウマになってしまう若者も居るかもしれない。
葬儀って亡くなるひとの為でもあるけど
残された人の心の整理の為でもある。
この話題が起きてから棄老とか姥捨ての事や
楢山節考がよく頭に浮かんだ
「棄老について
松原久子は、「年をとって労働力として役に立たなくなった人間を、死んでもらうために冬の山に連れていって置いてくるという習慣が、日本では当たり前であったかのように欧米人は信じている。しかしそれほど一般的であったかどうか、十分な資料に出会ったことがないので不明である。・・・映画の影響は大きい」と述べている[16]。なお肥後のある庄屋が子孫のために書き残した心得書には、次の一項がある。「村中にて年長の者を選び、七十四五から八十を越えた人には時々訪れ、年始か歳暮には鼻紙か小炭の一俵も軽い品を贈るようにする。九十歳になれば上から御祝も下されることであるから、その家に行って家内の者の心遣いなどをよく申し聞かすべきである」[17]」
これこそ日本人の考えだと思う。