帝政ロシア時代の香り | LIZABSTRACT

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いくつかの記事を読んでみた中で、
ある記事で酷評されていた。
プーチン大統領のイメージの香り
Leaders Number One


Dior や Dolce and Gabbanaが$ 72と$ 67なのに
「Leaders Number One」は$ 95もする。
しかも香りが安っぽいと・・・
そういう記事だった。


















対比させたDiorとDolce and Gabbana
デザイナーが3人ともゲイであることに意味は
あるのだろうか?

強いプーチン男性的なイメージ・
同性愛を認めない立場と
対比させたのか?

それとも、フランスとイタリアから発信された
売れているメーカーを単に比べただけなのだろうか?


それにしては、Dolce and Gabbanaはエルトン・ジョンとの
騒ぎから不買運動があったりして
精彩を欠いているように思える。
最近はどうなのだろう?


ベラルーシ製の香水なんて。
そう思う人もいるのではないだろうか?
香水と言えばフランス。

私も以前はそんな風に漠然と思っていたが、
香りの歴史を紐解くと、
帝政ロシア時代の香りから
目をそむける事は出来ない。
















モスクワ1881年。
フランス人調香師、エドゥアール・ボーの
息子としてロシアで生まれた
Ernest Beaux エルネスト・ボーは後に
香水史上もっとも有名であるだろう
あのChanel No. 5を調香することとなる。







この話は香水の好きな人や
シャネラーという人達には
よく知られているだろうけれど、
詳しく研究されている方が
いらしゃるようで本にもなっているので、
読んでみたいと思っているが・・・














そもそもシャネルに
エルネスト・ボーを紹介した人が
ロシア貴族で「革命から逃れ亡命中」の
ディミトリ大公であったが、
シャネルよりも10歳年下の貴公子
ディミトリ大公・・・どうやら怪僧ラスプーチンに
青酸カリを盛ったロシア皇族のひとり
だったようだ。



革命から逃れ亡命中」というのは聞こえが良いが、
実は「怪僧ラスプーチンを暗殺したことで
国外追放
」になっていたようだ。



ブルボン朝の影響で、当時のロシアには
多くのフランス人がいたようである。

もうひとつ思い浮かぶのが、
「 DAVIDOFF ダヴィドフ 」というメーカーがある。
帝政ロシアのキエフに生まれたジノ・ダヴィドフ
が創立した葉巻メーカーだが、
フレグランスも出している。



香水やファッションの世界も
最近はブランドを買収するということが
あるので、ちょっとしらないうちに
グループが変わっていたりするのでよくわかりませんが、
ダヴィドフのフレグランスは
cotyコティが製造(ブランド的には「製造」でなく
「創造」と言いたがるが・・・)していて、


cotyコティ社は創立者
François Coty フランソワ・コティの死後
1963年にファイザーへ売却された。


エルネスト・ボーがロシアで在籍していた
Alphonse Rallet & Coアルフォン・ラレー社は、
帝政ロシア終焉とともに解体された、
それを買収したのがcotyコティ社だった。


不思議なめぐり合わせなのか、
NY本社のファイザーに帝政ロシア時代に
関連する香りが集まっている感じがする。












Leaders Number Oneを販売している
モスクワのデパート
GUM  department store 帝政ロシア時代の建築であり
今は総合百貨店であるがかつては国営百貨店であった。
風格のある建物である。
ここでしか買えない意味が、
ロシアの香水の歴史を知ると
更に意味深く感じられる。








・・・つづく