天智天皇の御製とかぐや姫
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ」
天智天皇の御製だということになっていて
小倉百人一首の第一首とされていますが、
「秋田苅る借廬を作り吾が居れば
衣手寒し露ぞ置きにける」
こちらが原歌で
元は読み人知らずだった歌が
いつの頃からか今のような歌に変じて
天智天皇の御製だということになった。
と言われています。
この歌にはいろいろひっかかるところがあって、
思う所が幾重にもあるので、
度々事あるごとに思いだして
考えなおしているのだが、
今年の今生天皇の歌会始めの御製が
少し似ているように思うのだが、
この御製も様々なところで
不吉だとかいわれて解釈されていた。
「夕やみのせまる田に入り稔りたる
稲の根本に鎌をあてがふ」
天皇陛下「夕やみのせまる」 歌会始の儀
http://www.news24.jp/articles/2015/01/14/07267179.html
こちらも秋の田の歌であろう。
そして「鎌」という言葉にも
いろいろ思うところがあり
ここも様々に解釈されている。
天智天皇・・・といえば
金 春秋(キム チュンチュ)も関連しそうだ。
これも「秋」の文字を持つ人だ。
そんな時に、スタジオジブリの「かぐや姫の物語」
の後で、それを観たいつもお世話になっている
ブロガーさんのひきこもりさんが、
「■母さまの乳首がデカイ(*ノωノ)」
と書いていらして他の観た方も
同じようにコメに書かれていたので
(ブフッ!と笑いつつも(//∇//))
何かあるのかと思ったら・・・
あの事故。
秋田 乳頭温泉郷 倒れた3人の死亡確認
3月18日 21時16分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150318/k10010020241000.html
これも「秋田」でした。
しかも原話の「竹取物語」は不死の山・富士山の
話であり、山の話に最後はなるんですよね。
その後ひきこもりさんのブログで書かれていましたが・・・
http://ameblo.jp/helloworkfan/entry-12003554424.html
「「なよたけのかぐや姫」と名付けたのが
斎部秋田(いんべのあきた) 秋田(゚∀゚)!!!!!!!!」
そうですそうです。
私も思い出しました・・・
この事、雨限なんですが、
私も去年の記事で少し書いています。
http://secret.ameba.jp/lizabstract/amemberentry-11882674843.html
Mon, June 23, 2014 05:34:54
かぐや姫
「有名な竹取物語に出てくる
竹取の翁は 「さかきのみやつこ」である
または「さぬきのみやつこ・讃岐造」
だったと言う写本もあるようだ。
御室戸斎部(みむろどいんべ・または三室戸斎部とも)の
秋田という人に名づけ親になって貰った。
そして「なよたけのかぐや姫」と名づけられ美しい姫と
なるのは皆様ご存知の通りでございます。」
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忌部(いんべ)氏は全国に分布し、
讃岐忌部(さぬきいんべ)氏は
手置帆負命(たおきほおひのみこと)を祖神とする一族で、
文字からもわかるように祭祀部族であろう。
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ ・・・」
この和歌の解説で、
「天智天皇は慈悲深く、
農耕の番をする粗末な小屋で
民の生活苦を思うと
我が袖も涙で濡れるのだ」と
書いてあるのを読んだことがある。
「秋の田のかりほの庵」は刈り取りが
済んだ後の稲わらで作る庵である。
なので、農作物の番をする農民はもはや必要がない。
解釈に違和感があるのだ。
「苫をあらみ・・・」
草冠に占いという字が入っていたら
もうこの庵は祭祀の目的で建てられたと
思う方が自然に感じるがどうだろうか?
「秋田苅る借廬を作り吾が居れば」
もしかしたら 秋田刈るは
「忌部の祭祀氏族が刈って設えた庵に・・・」
という意味ではないかと、
考えてみたらどうか?
もう少し調べてみたいと思います。