あの人は今。 | LIZABSTRACT

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♡ Can you feel my heart beat? ♡
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幼稚園児(/_;)大丈夫なのか?



この中で、
「臨界事故の時に、原発反対の集会に参加し
たまたまバイクで東海村に行った人が被曝したと、
ずっと前に読んだ事があります。」と書きました。



かなり前の話なので、ところどころ記憶が曖昧なのだが、
2003年の「World Peace Now」の時だった。
これは私が経験した人生初のデモで、
一緒に歩こうと誘われ5,6人で行った。
デモに誘われて・・・まさか自分がデモに行く日が
来ようとは予想もしていなかった。
しかし このまま放っておいて
良いはずが無いという思いもあった。

戦争なんて絶対経験したくないし
日本の自衛隊が海外に行くのも嫌だ。


言わずと知れた、イラク戦争に反対するデモで、
東京 日比谷のパレードは5万人の人が集まった。


始めてのデモなので、色々珍しかった。
革マル派 とか ○○組合 とか
宗派を超えた仏教徒の会? とか
色んな団体が来ていた。

その中で「全貧連」と言う面白いノボリを見た。





帰ってきてから、「全貧連」と言うのを検索してみた。
法政大学の人が全貧連委員長だと書いてあって
なんだか色々面白い事が書いてあって
面白がって笑いながら読んでいた。


それからしばらくして古くからの友人が
「デモに行ってきたよ~。」と言って、
「私もいったよぉ。どこに居たの?」と
話していたら「全貧連 って知ってる?」とか
その友達もなぜか偶然言い出して
しばらく面白がって、話していた。


そして、その面白いふざけた感じの団体名ながら、
非常に印象的だったのは、
「東海村のJOCの事故で被曝した」
と言う話だった。

この前、その事をこのブログで書いてから、
一体その方は今どうしていらっしゃるのかと
気になっていた。

それで検索してみたら・・・あった!
2004/01/03 当時の記述で

「全貧連委員長 法大被曝者の会

99年9・30 

函館の非核平和集会にバイクで向かっている途中、
東海村臨界事故にモロに遭遇。→法大被曝者の会結成」



松本 哉 -まつもとはじめ 氏だった。



そして 調べてみて始めて知った。
その人こそ
「高円寺原発やめろデモ主催・素人の乱松本哉さん」
だった事を!

実は私は、「World Peace Now」の後で
イラク戦争に反対するサウンド・デモに、
他の友人と参加している。

多分二回目のサウンド・デモだったと記憶しているが
雑誌「Remix」の呼びかけで渋谷の街を歩き、踊った。

ECD氏が『失点・イン・ザ・パーク』をその頃
出したのかな?


その頃ECDさんが「もう全然ネガティブな
表現をすることが許されないような、
TVからももう、ポジティブな言葉しか聞けないような
そういう状況になって来ている。」


そのままではないけれど、そんな意味合いの事を
書いていたのをおぼろげに思いだすと、
まさに今も、そういう雰囲気が
その何倍も大きくなっている。



「風評被害を防ごう!」「頑張ろう」
「地産地消」

放射線の専門家は「全く心配ない」
「美味しい桃を買おう。」
「お魚を食べて大丈夫。」


「不安を煽っちゃいかん。」




この前ちょっと検索してみたら、
2007年、松本哉氏が主催した高円寺駅前の
政治運動に、ECDがラッパーとして参加。
と書いてあった。

おお!あの「たまたまバイクで東海村に
行って被曝した人」こと松本哉氏が
ECDさんとつながっていたとは♫





先日「ECDの東京って良い街だなぁ」を
載せたが、実は当時は歌の歌詞の通りの
「東京ってもうだめなのかな?」と言う
タイトルでリリースされた曲だ。

もしかしたら・・・というか多分ECDさんの
そういう思いも汲んで、投稿者は込めてわざと
「ECDの東京って良い街だなぁ」として
アップしたのではないかと思った。


それに知らなかったとは言え
高円寺でデモを主催している人こそ
松本哉氏だったとは♪


ECDの
『失点・イン・ザ・パーク』って変な題名でしょ?

たしかこんな経緯だった。

イラク戦争に反対した人がどっかの公園のトイレに
「戦争反対」って書いたそうだ。
そうしたらその人は逮捕された「落書きの罪で」

もう政府はなんでも良いから、政府に逆らうヤツは
どんな罪名でも良いから逮捕しようとしている。

311以降、私が一番記憶に残っているのは、
岡本太郎の壁画にフクイチの原発事故の絵を貼り付けて
表現したアート集団がやはり「落書き」とされて
逮捕された事だ。

明らかに彼らの作品はただの落書きでなく
アーティストの表現だった。
私は彼らの政治的メッセージを込めた絵画が
政府によって「いたずら書き」扱いされて
TVの前で地団駄を踏んだ。

そして、もし岡本太郎が生きていたら
岡本太郎は彼らの行為を受け入れた
「よくぞやった!芸術は爆発だ!」と褒めたと思う。






始めてのサウンド・デモで
私たちは「殺すな!」と言うメッセージを掲げて
渋谷で踊った。

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その殺すな!の文字はまさに岡本太郎その人の
メッセージだったからだ。

踊りだすと、ピースウォークの時とは
全く違う展開が待っていた。
楯をもってヘルメットを被った機動隊に
囲まれてしまったのだ。


初期のサウンドデモは人数も少なくて
20人位だったように思った。
そこにデモの人数を上回る機動隊が
動員されたのには本当に驚いた。



デモの後、逮捕者が何人か出た。
私たちは運動家でもなく、誰かが他国でアメリカの
利益の為に殺さえるのを間違いだと思った。
そこに日本の自衛隊が行って、アメリカの非人道的行為を
支援するのも許せなかった。
だが、逮捕されてまで運動を続けて行こうと言う人は
少なかったと思う。


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戦争は反対だ。
だが、送られる自衛隊員だってその家族だって
酷い危険に曝されるのだ、
当時自衛隊が一日イラクに駐留するために
国民の血税から一億円が使われた。

しかしフランスは日本の自衛隊が駐留して
イラク人に配給するのと同じ量の水を
一人か二人の労働者を送る事で配った。
詳しい金額を明確に覚えてはいないが、
それは一日一万か二万円の支払いで済む程度の
労働賃金だった。

イラクでは、米兵が被曝した。
劣化ウラン弾で実際に奇形児が生まれた事を
アメリカ政府も認めているそうだ。
勿論日本の自衛隊もそういう過酷な状況で
後半はサマワのキャンプにひきこもっていて
殆ど活動もしていないだろう。

これが、小泉が推し進めたサマワの
「自衛隊が行くところが非武装地帯」の実態だと思う。






昨日、chihointokyoの毒皿ブログさんを読んだら


2012.5.21「NATOに反対、戦争に反対」首脳会議会場へ帰還兵が従軍メダルを投げつける




あの時、イラクに侵攻したアメリカ兵が
アフガンに従軍した元兵士達が、
「NATO(実質アメリカ軍)こそがテロリストだった!」と
声を上げてNATO首脳会議場に向かって
従軍メダルを投げつける多くの帰還兵。

正義なき戦いに駆り出された兵士たちの苦悩。

彼らの目覚めを見て、ひとりひとりの
メッセージを聞いて、私たちがイラク戦争反対の
声を東洋の端っこであげて居た事も
無意味で無かったと知り本当に嬉しかった。



彼らの怒りの声は、日本人にとっても決して人ごとで無い。
アメリカの言いなりになってIAEAが原発を
推し進めたときに最後に駆り出された自衛隊を
思い出して貰いたい。

米軍と日本の自衛隊の合同演習の先に
何が見えているのか?
日本の自衛隊=貴方の家族や隣人として
身近な人々に降りかかる事柄として
我が身に問いかけながら
この動画を見て貰いたいとおもった。


メシアは来ないかもしれない・・・
だが、世界中の人々の目覚めが
  未来を変えられると信じています。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=R4Z1avRGWiU

最悪な間違いだった...(目覚めはじめたアメリカ兵)