宇梶さんのお父さん | LIZABSTRACT

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源頼政を宇梶さんが演じているので、
すっかり宇梶さんを見ると「頼政」と
思ってしまう昨今。



その源頼政が和歌が上手と譽れ高かったの
ですが、個人的には頼政のお父さんの
源仲政の和歌がグッときます。
計十五首が勅撰入集している実力派歌人です。



素敵なのでご紹介したいと思います♫


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「夏来ればしづの麻衣
   ときわくる片田舎こそ心やすけれ」


夏が来たら粗末な麻(あさぎぬ)の着物を解いて
  単(ひとえ・裏のついていない着物)
とするような、片田舎の佗びた清貧の暮らしがいいのだ。


「ときわくる」は解くと常葉を掛けているのでしょうか?
麻衣の白と夏の緑がすがすがしい気がします。



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水上雪といふ事をよめる

「もろともにはかなき物は水の
    面(おも)にきゆればきゆる泡のうへの雪」

「共に儚きものは 水面に浮かぶ泡と
      その上に舞い落ちた雪。」

主君が落ちると共に落ち、帝が変わればその地位も
途端に転落してしまう。そんな兵(つわもの)や
公卿の危うい運命共同体を、水面の泡と雪にたとえて
いるようで、平安の無常感が漂います。


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「うなゐ子が流れに浮くる笹舟の
   とまりは冬のこほりなりけり」

「うなゐ子(幼子)が川に浮かべた笹舟が
行き着く碇泊地は、冬の冷たい氷だった。」

これも幼子の未来の辛い運命を暗示するような、
けれども、川の透明な水と青い笹舟、そして笹舟を
阻む真っ白い氷がキラキラして。


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私は、仲正の和歌が絵画的で情景が色鮮やかに
想像できるところがとても好きなのです。
そして、なにかちょっと胸がキュンとするような
質素なのだけれど品の良い感じが
また惹かれるのです。

一番胸キュンな和歌はこれです。



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「さを鹿は命を妻にかへんとや
    猟夫(さつを)が笛になくなくもよる」

「牡鹿は、妻を守るために
自分が身代わりとなろうというのか?
鳴きながら猟師の吹く鹿笛の方に寄っていくのだ。」


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秋が深まって紅葉が始まりました。
うちの近所ではいつもなら猟がはじまって、
時々銃声が聞こえるのだけれども、今年は
猟の解禁にそろそろなったと思うのですが
放射能のせいでジビエをする人が減ったのか
全く聞こえません。



平安の頃は、銃声や薬莢が散らばる音では無く

漁師の鹿笛が猟の合図なのですね。
優雅ですね。




ところで、この和歌。
この前書いた頼政の鵺退治の事に触れ
鵺の正体が頼政の母だという伝説があるという
事を少し書いたけれど、
その伝説は愛媛県にあるそうです。


頼政の母が郷里の愛媛に平家から隠れて住んでいて、
赤蔵ヶ池の龍神に息子の武運と源氏再興を祈ると
母の身が鵺に変じて都に飛び立った。
息子の頼政に退治させて自らは矢傷を
負いながらも手柄を立てさせた。
母の鵺は郷里に戻るが赤蔵ヶ池に主となり、
矢傷が元でそこで死んでしまうのだそうです。


この伝説つくった人絶対、仲正の和歌を知って
いた気がします。

妻の為に自らの命を差し出す牡鹿と、
我が子の出世の為に我が子の矢に射られに行く母の
献身的な愛情が重なります。


そして「仕留めた鵺の体をバラバラに切り刻み、
それぞれ笹の小船に乗せて海に流した。」っていう
平家物語の作者も、絶対に仲正の和歌を知っていて
「うなゐ子が流れに浮くる笹舟の」から
笹舟に乗せた話を書いたように思えます。


笹は祖先の霊の憑代なのだそうです。
なので平家物語の作者は頼政のルーツが
霊的な力のある事も知っていて、
それを強調したのでしょう。


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「住まばやな峯のしきみの花を折り
     谷の水くむ山の小寺に」


「峯に自生している樒の花を手折り、
谷川から水を得て仏に供える
そんな山寺に住みたいものである。」


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そんな質素な方丈生活への憧れを語られると、
最初に述べた夏の和歌が、また違って聞こえてくる。



「夏来ればしづの麻衣
   ときわくる片田舎こそ心やすけれ」


[しづの麻衣]は賤(しづ)だと言うのだけれど、
静心なく花のちるらん(by紀友則・紀貫之のいとこ)
の静心(しづこころ)の
「しづ」ではないかと思いもする。


そう考えると、
「夏が来たら静かに霊力のある粗い麻の衣
(神を祀る人の着衣)の単(ひとえ)にして
人里を離れて(神に祈るような
浮世離れした暮らしが)心に平安をもたらすのだよ。」



そんな風にも聞こえてくる。



頼政は謎の多い立場である事から、
手柄や武功の高さに反して
ごっそり抜け落ちた人間性の部分を
やや地味ながら清貧の思想で貫かれながらも
鮮やかな感性で、時の白河帝政権下で

信頼された存在だった父・仲政の和歌から

イメージをお借りしている感じがする。



歌壇の最高実力者だった源俊頼
(ごっしーの梁塵秘抄の元本となった
歌論集「俊頼髄脳」の著者)も仲政には一目置いて居たし

仲政は白河帝や藤原摂関家から
若い頃から重用されていた。

にも関わらず奢らず質素に清い暮らしを

望まれたようで取り立てて高位につくことを

希望したり公卿に列したいとか、

表向きの要職に就きたいと思ってはいなかったようだ。




もしかしたら頼政の母は、そういう出世レースから
外れた夫・仲政とは違う道を、
表向きの要職を更には公卿を目指す道を
息子には望んだのかもしれない。
鵺になってまでも彼女が息子を出世させたいと言う
気分を周囲の人々は読み取っていたようにも
想像できる。


仲政の晩年は頼政に家督を譲り引退したと伝えられるが、
その晩年は静かに安らかに神仏に仕える日々だったのか?
それとも秘密の多い家系故に表には出ないが、
隠居とは言えないような天皇家の密勅などに
翻弄される暮らしだったのだろうか?



この方もまた実像に迫ろうとすると
するりとかわして遠くに行ってしまう
どうやら不思議なもう一つの
裏の貌を持っているようなのである。
そしてその裏の貌も神仏と
とても関わりが深そうなのだった。



その話はまたいつか