日本でテーラワーダ仏教の布教活動をされている、スマナサーラ長老。スリランカのご出身です。

 

 

この長老の面白いところは、仏教=心の科学、として、

 

 

科学の視点から心をどうコントロールすべきか、ということを解説するのです。

 

 

そのため、非常に現実的なアプローチです。


で、今、長老の講話を元にした冊子を読んでいて、

 

 

まだ途中までしか読んでいないのですが、またハッとしたので、書こうと思います。

 

 

講話のテーマは「言葉」。

 

 

今年4月に日本に帰国した際、都内にある精舎でいただきました。

 

 

私たちの耳は、入る言葉(音)を取捨選択できません。良い言葉、悪い言葉、すべてが開けっ放しの耳から入ってきます。

 

 

そして、良い言葉よりも悪い言葉の方が、感情に訴えてきます。

 

 

人間の脳には、

 

 

感情を司る原始脳と、理性を司る大脳皮質とがあります。

 

 

オレンジの層が原始脳、緑の層が大脳皮質です(ファミリーカイロプラクティックセンターのHPより拝借)

 

 

人間のみならず、音を発する生物(主に哺乳類)=「理解」する生物には、感情があります。

 

 

言葉については、ネコもカラスも言葉をしゃべっているのですが、とりわけ人間は非常に発達しています。

 

 

で、人間である私たちの耳に悪い言葉が入ってくると、原始脳が反応して、感情をかき回します。

 

 

そういう経験が重なると、脳内に、そういう回路ができてしまうのです。悪い言葉が聞こえることによって感情が乱される、という。

 

 

これは、原始脳の働きによるものなので、私たちは生まれた時からこのフォーマット、そういうふうにできているのです。

 

 

しかし、私たちは、悪い言葉を聞いて、理性が働くように、脳に新しい回路を作っていかなければならない。耳から入ってくる言葉(音)を、原始脳ではなく、大脳皮質で処理する回路が必要なのです。

 

 

・・・上手く説明できたかどうか分かりませんが、こういうお話でした。

 

 

確かに、

 

 

穏やかな心を作るために、脳に新しい回路を作る

 

 

考えたこともなかったけれど、そういうことだよなぁとちょっと目からウロコな気分でした。

 

 

冊子はまだ途中までしか読んでませんが、このあと、「世の中の洗脳とマインドコントロール」「人生は言葉次第」「言葉の使い方」・・・といった内容が続いています。

 

 

 

 

で、私がまず思ったことは、

 

 

もし自分に子供ができたら、その子にこういうことを教えてあげたいな。

 

 

自分が、自分の感情や日々の出来事とどう対峙すればよいのか、分からないままずっと生きてきたからです。

 

 

子供の頃から、自分のこと、世の中のこと、どうやって俯瞰で見たらいいのか、知っていたかった。

 

 

今、痛切にそう思います。

 

 

そう考えると、子供を育てるって、大きなミッションですよね。

 

 

体は、食べさせていれば大きくなるでしょう。でも、心はそうはいきません。

 

 

年齢を重ねたからといって心も自然と成長するかといえば、そうではない。

 

 

心は、学び、実践することで成長させていくもの・・・長老がそうおっしゃっていて、自分でも全くその通りだなぁと思ったのです。

 

 

で、子供の心を成長させるために導くには、自分が無知でいてはいけません。

 

 

生まれた赤ちゃんは可愛いけれど、その子はこれから、人生でたくさん苦しい思いをしなくちゃいけない。

 

 

そういう時に、その子の心が強くいられるように、

 

 

その子が自分で考え、選択できる子でいられるように、

 

 

その子を自分が導けるのだろうか?

 

 

親は、子育てをしながら自分も成長していくと言います。

 

 

私は43ですが、今からでもできることなら子供が欲しいです。

 

 

一人の人間を育てるという大きなミッションに、一度でいいからチャレンジしてみたいと思うのです。

 

 

私は不妊治療をする気はないので、妊娠は自然に任せるしかないし、可能性はほぼないと思いますが。

 

 

 

 

まあ、妊娠のことはさておき。

 

 

日頃、耳から入ってきた言葉で自分の心が乱されることもありますが、

 

 

それ以上に気になるのが、自分の言葉が人の心を乱しているのではないか、ということです。

 

 

自分は、周囲の人の感情をかき回す言葉を、しょっちゅう口にしているのではないか。

 

 

言葉の使い方が、自分の人生も他人の人生も変えるのなら、

 

 

自分はもっと、注意深く、真剣に、言葉を選ぶべきではないか・・・。

 

 

そのために具体的にすべきことは、冊子の先を読み進めることにします。

 


カナダに来てから、長老の本を何冊も読みましたが、

 

 

長老のお話の中からはいつも、びっくりするような気づきを得ることができます。