「アメリカの学校行ってました」って聞くとすごいこの子積極性があるんだなあみたいに思いませんか?

留学だとしたら自分の固い意志があって単身海外に出るっていう決意がいるし、現地の学校だとしたら、ネイティブの人達と交流するわけだし。大したことないじゃんって人もいるかもしれないけど、簡単なことでもないですよね?だからそのイメージが付随して海外に住んでたことがあるというと、わあ、言葉ペラペラなんでしょ?とか友達見せてよ!みたいな。(極端ですけど)

じゃあ、自分の意思で海外に行ってない場合は?って話になるんです。親が転勤族でいろんな場所を転々としてる場合は?状況が違うのに同じものを求められたらたまったもんじゃないっ!て思ってしまいます。捻くれ者なので。笑

自分は言って仕舞えば元から社交性が普通より下くらいなんです。第一言語が同じでも人前で喋るのは苦手だし、相手が気を許してくれないと自分も仲良くなれない。なのに急にアメリカに来て、せっかくアメリカ来たんだからもっといろんなこと仲良くしなさいと言われても、無理な話なんです。まあ、これは積極性以上に個人の能力みたいなものも関係しているのかもしれませんけど、自信もなければ度胸もないのに、急に現地校に放り込まれて友達作れって言われても無理なんです。それまで英語は人並み、いや他人よりなんならできないくらいだったのに、無茶な話です。まあなんとか馴染むことができてからも周りと比べられてあの子はできるのにね、みたいな言われ方をするとさらに憤ります。なんで!と大声をあげたくなります。もうそういうのは生まれ持った性質なので、急にじゃあアメリカ来たから積極的モードに変えます、なんて出来ないんですよ。向き不向きの問題なんです。英語が大事な言語で自分にとってプラスにはなれどマイナスになることはないと理解はしているんです。でも、向き不向きはどうにもならないし、言語学習って努力でどうにかなる部分と元々のセンスを用いる部分って絶対少なからずあると思うんです。だからまあ何が言いたいかっていうと私みたいな積極性のあまりない、必要最低限の英語力だけで生きてるアメリカの日本人学生もいるってことです。もったいない!私は行きたいのにいけないのに!って人もいるかもしれませんが、私も同じように日本の学生生活にとてつもない憧れを抱いているのです。努力が足りないんだ、と思う人もいるかもしれませんが、自分が勉強したいことを自分が自由に操れる言語で勉強できたらどんなに幸せか常に私は考えます。結局無い物ねだりなのかもしれませんね。でも自分にとっての逆境はチャンスだと思いながら頑張って卒業まで走り抜きます。