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みなさん、こんばんは~(*´∇`*)ノ

今年2024年初めての投稿記事になります。

 

1月20日に大寒を過ぎて4日ほど経ちますが、日本列島には今年最強と

言われる寒波がやって来ていて日本列島をすっぽりと包んでいます。

こちら地方も冷気が入り込んで身に沁みる寒さを感じますが、山陰や北陸

北海道や東北、あるいは九州や近畿などのような積雪はないのが救いです。

今日はその積雪のせいで各地の交通機関や道路にも混乱や支障が起こっている

ようで積雪による被害が広がらないことを願うばかりです。

 

今年の年始には能登半島で大きな地震が起こりその惨事を知るに至りました。

3週間が過ぎた今でも毎日のようにたくさんのニュースを目にします。

この惨事に目を背けず、心に痛みを感じながら、何らかの形でこれからの

復興にささやかでも寄与できればと今は考えています。

過酷な状況下のもとで一次避難、二次避難をされている皆さんには、ほんとうに

大変なことばかりだと思いますが、どうぞ1日も早く心安んじる日々が訪れる

ことを心より願うばかりです。

 

私にとって能登半島は大好きな場所でもあります。

焼失したあの輪島の朝市通りも好きでこれまで何度となく足を運びました。

活気ある朝市もいしるの魚醤で食べる海鮮丼も歩きながら食べるえがら餅も

いつもの楽しみにしていたものです。

珠洲市にも幾度となく足を運びました。能登半島の先端には中世に作られた

珠洲焼と言う還元焼成で焼き上げた灰色の魅力的な陶器があり、

また正院町には正院焼という江戸時代から明治時代にかけて作られた

華やかな九谷焼がありました。

復興が叶ってまた観光客を迎え入れる時がやって来たなら、急いでまた

能登半島を訪れたいと思います。

口いっぱいに岩ガキを含みながら能登の海を眺めたいと思います。

 

 

 

   

   白梅

 

   

   寒桜

 

 

 

思えば、このブログの始まりは「太宰治」という作家のことを取り上げながら、

太宰治の著作本。あるいはその周辺の作家や資料本などを興味のある方に

紹介していこうというような主旨で始めたのが始まりたったのです。

なので書庫のなかには太宰治関連の項目がいくつか名残のようにあります。

私自身も太宰から離れ、ブログで扱う内容もそれに伴って変わっていきました。

 

昨年12月に、たまたまある催しで大正時代から昭和時代に作られた黒いコートを

目にしてそれを買い求めました。

ウールで作られた仕立てのよい今でも状態の良いコートでした。

それは「インバネスコート」と呼ばれるもので、別名「二重回し」や「とんび」

などと言われています。

私には「とんび」という名が馴染みで、とんびを颯爽とひるがえしてという表現が

頭の片隅に今でも残っているからです。

とんびを見て私はすぐさま太宰を想起したのです。

 

 

 

     

     津軽の太宰資料館にある「とんび」

 

 

     

     三鷹時代のとんび姿の太宰治。

 

 

           

           とんびを着てみて。

 

 

 

こういうものは不思議なもので何か縁(えにし)のようなことが

あるのかも知れません?

今年の年初にも昨年同様、世話になっている方の招きで新年会がありました。

食事をご馳走になり、お酒をご馳走になり、時間を忘れていろんな話に

花を咲かせて来ました。

その時にその方が見せてくれたのがこの人(下の写真)の書を掛軸にしたものでした。

 

 

         

 

 

この方、お分かりの方はおられるでしょうか?

実はこの方、太宰治の師であった井伏鱒二という作家なのです。

学校の教科書には「山椒魚」という作品が載っていたので、その作品を読まれて

印象に残っている方は多いのではないかと思います。

太宰治が弘前高校に在学していたころ、井伏鱒二の「山椒魚」にひどく感銘を受けて

手紙を送ったのが、太宰と井伏との最初のきっかけです。

そして太宰治が大学に入り上京した頃。井伏鱒二は再び手紙を受け取るのですが、

返事を出しそびれていたところ、今度は太宰から

「もしも会ってくれないと死んでしまう」
と、手紙が来たので慌てて返事をして、東京で会ったそうです。

太宰らしいと言えば太宰らしいと思えるエピソードです。

 

話しは戻りますが、そんなに太宰に関心があるのならと言うことで

そのお世話になっている方のもとから、出世払いでいいとのことで

井伏の書軸は私のところへと手元にやって来ることになりまた。

 

さらにはたまたまなのですが、つい先日のこと。

太宰治の弟子のひとりで詩人、評論家の別所直樹という方がおられるのですが、

この方はいくつかの太宰関連の書籍を出されていて私も何冊かはこれまでにも

読んだことがありました。

太宰と12歳違いの彼は、太宰の死の前後の様子をよく知る人物の一人でもあります。

別所は「(太宰には)家族もいるのだから、その気持ちを考えれば、知っていても

書けないことだってある」と晩年に語っています。

これも偶然ではありますが

 

   

 

太宰治と別所直樹が出会った頃のくだりなどが書き記された貴重な別所直樹の

生原稿をこの度、手に入れることになりました。

 

昨年の暮れに「とんび」を手に入れてから、こうした忘れていた太宰関係の

繋がりが立て続けに起こったことは何かやっぱりご縁かな?と思ったりします。

 

 

  

 

太宰は生涯に4人のお子さんをもうけました。

美知子さんとの間に3人。そして太田静子さんとの間に1人です。

ずっと以前の話になりますが、この街の文化カルチャーでその太田静子さんの

ご子息である太田治子さんが講師を務めるとある教室があって、

私はその教室に参加していたことがありました。

その頃の参加者は私ひとりが男性でほかはすべて女性の参加者であったこともあり

連絡役、まとめ役と何かと重宝がられました。

太田先生はNHKの「日曜美術館」の初代アシスタントを担ったりなどして、

美術に造詣が深く、多くの美術書やエッセイ、フィクションを書き記しています。

よく教室でみんなで美術館巡りをしたのが昨日のことのように思い出されます。

太田先生との連絡や教室の方々のとりまとめなど楽しくさせて頂いていました。

一度こちらのお祭りに太田先生がお子さんをつれて遊びに来られて、賑やかなお祭り

の中を案内したことがありました。

ほんとうに久しぶりにまた会いたいなと思えます。

ちなみに太宰治は太田静子さんの日記とチャイホフの「桜の園」だったと思いますが

これをモチーフに「斜陽」書き上げたと言われています。

 

今日は久しぶりに太宰治に関しての記事となりました。

最後まで読んで下さった方。ほんとうに有難うございます。

 

大寒が過ぎ、この寒波が過ぎた後には少し暖かさが感じられるといいですね。

能登などにお住まいの方に辛い厳しい季節ですが今日よりも明日が暖かくなって

そして明日よりも明後日が暖かくなるように願って・・・

みなさんもどうぞ暖かくして風邪などをひかないようにご注意ください。

遅ればせながら本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

                それでは、また(〃^∇^)o_彡☆

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

     

 

     

     碧い瞳のエリス♪

 

     

     最愛♪

     

 

 

        12月にカラオケに行けなかったので2ヶ月ぶりのカラオケ。

        先日、久しぶりに出掛けてみました。

        やっぱり月1は行きたいものです(*^_^*)汗

 

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