2015年3月29日(日)大安
昨日、ある学会の大会に参加してきた
。
テーマが地域新生だったので、興味が起こり、久しぶりに参加しました
。また、開催が土曜日だったので、参加できたのもあるのかもしれない。(なかなか都合が合わないと、参加できないもので。。。)
そんな大会では、基調講演から事例報告まで、地方地域で起こっていることが報告された
。その内容は、とても参考になることばかりだった。今、実際に起こっていること。それは、NPOが軽蔑視されていた以前とは大きく違い、今やNPOが重要視されていること
。行政からのサポートにおいても、組織の形ではなく、実績ベースに変化しつつあること
。はじめは、片付けや掃除から始まること
などなど。いわゆる、近年は、泥臭いことを嫌って、あまりやらないように思われているのだが、それは、おそらく30代以上の多くの人たちの考えで、そのマイノリティーの地域づくりをやっている30代以上の人と、20代以下の若者は、そのことに対して積極的に関わるようになってきているらしい
。大人世代は、自分の価値観ではなく、その若者感覚を理解して、引き出してあげることが必要なのだろう、と思った
。若者が求めているのは、社会の中での自分の役割、のようである。それは、大した役割でなくてもよく、小さいながらもしっかりと自分のポジションが感じられることにあるような気がした
。そこに大切なのは、そこは君じゃなきゃダメなんだ
、ということなのだろう。私も若者と関わることが多いので、自分の価値観を押し付けないように、かつ相手の個性を引き出す環境を作り出すことに気をつけなければいけないなーなどと、なんとなく自戒の念も込めて思うのです
。
問題は、そこに大人の価値観の押しつけがあることなのかもしれません
。ので、一部の発表では、少し残念な気持ちも持った。当然、それらの発表では、地域地域というのだが、その地域の規模はどれくらいなのか
ということがまったく分類されずに語られていた。地域づくりで、一万人以上いるところと3,000人程度のところと、数百人のところとでは、その地域づくりの形がまったく異なる
。それがごちゃ混ぜになって語られる。地域づくりのモデル検証においては一万人以上のところにおいて語られることが多いのだが、事例においては、数百人から数千人のところでの成功事例が語られる
。これを同率で語られると、方向性が間違うと思うのです。当たり前のことですが、成功事例がその一社の事例では、売り上げ規模が数千万から数億程度で成功になる
。が、数万人以上のところでは、それでは到底賄えない。また、その成功の要因も、観光客が増えたとか、そこに若者が増えたとかになる。それは、地域の外が元気な時にはそれでいいのかもしれませんが、今や経済全体は縮小しているのである
。(なぜなら、経済は人口動態と大きく関わるからである。それは、経済の根本には、付加価値、があるわけで、その価値は人が感じることであるからである。その人の数が減っている以上、経済は縮小することは当然の理となる。)そこには、結局、今までの大人の価値観がある
。自分だけよければいい、という考えである。東京一極集中が問題になっているが、その東京の立場を自分たちの地域に持っていこうとする考えである。それでは、その地域間の競争が激しくなるだけで、根本的な解決にはならない。その競争には、どれだけ投資を集めるか、という形に落とし込まれていく。ので、いずれこのモデルは崩壊することになるのだろう。お互いに疲弊して、よりひどい形に落とし込まれていくのではないだろうか
と危惧してしまう。
ここは、学術的にはやはり指標、というものが必要になるのだろう。問題は、PDCAサイクルを回していくだけの、その指標がないことにあるような気がします
。今の状態は、プロジェクトの評価ができず、反省も喜びも生まれないのであります。そのために、何が良くて何が悪いのかがわからない。感覚だけで実行される
。そして、中心人物が自分のリソースを最大限利用して成功に見えているだけであって、その人がいなくなったら、おそらくそこには持続可能性はなく、残るのは、もしかしたら厳しい言い方をすると、残骸という形になるのかもしれない。そのためには、ある部分はシステマチックに動かさなければいけないのかもしれないが、いずれにしても、ある指標に基づき、評価できる仕組みが必要な気がします
。企業30年説、なんてものがありますが、地域経営は、数百年先も考えてやらなければならない。地域が30年でつぶれたら、それは元も子もないのである
。(企業はつぶれたら、どこかに移れるが、地域は移れない、という根本的な問題がある。)
昨日の帰りに、今のアメリカで起こっていることが描かれた映画を見てきた
。題名は、『ダムネーション』。今、アメリカでは、電気を作るために作り続けたダムを壊し始めている、というのである。電気で得られた人の利益もあり、100年ほどは潤わせたが、そのために失われた自然環境は、その100年ほどで得られた利益の数十倍の人類の利益を失わせていることに気付き始めたようである
。そのために、ダムを壊して、自然の形に戻そうとしているのである。その映画の中で、反対派の議員の人が話していたが、今起こっている行動を、原始時代に戻そうとしている、と語っていたが、そんなことはない。きちんとした文化文明を経た今の人類である。そこには人類の知恵の蓄積があるのである
。どんなにダムを壊しても、人々の生活が、原始時代に戻ることは決してない。ましては、そこから先の新たな形の文化文明がある可能性さえある。なぜ、健康を壊してまで、夜遅くまで仕事をするのか
なぜ、夜空の満天の星を捨ててまで、明るくしなくてはいけないのか
夜空の満天の星が好きな私として、そんな環境を捨ててまで起こす人間の行動などあるのだろうか
と、思うのでした。。。
昨日、ある学会の大会に参加してきた
。テーマが地域新生だったので、興味が起こり、久しぶりに参加しました
。また、開催が土曜日だったので、参加できたのもあるのかもしれない。(なかなか都合が合わないと、参加できないもので。。。)そんな大会では、基調講演から事例報告まで、地方地域で起こっていることが報告された
。その内容は、とても参考になることばかりだった。今、実際に起こっていること。それは、NPOが軽蔑視されていた以前とは大きく違い、今やNPOが重要視されていること
。行政からのサポートにおいても、組織の形ではなく、実績ベースに変化しつつあること
。はじめは、片付けや掃除から始まること
などなど。いわゆる、近年は、泥臭いことを嫌って、あまりやらないように思われているのだが、それは、おそらく30代以上の多くの人たちの考えで、そのマイノリティーの地域づくりをやっている30代以上の人と、20代以下の若者は、そのことに対して積極的に関わるようになってきているらしい
。大人世代は、自分の価値観ではなく、その若者感覚を理解して、引き出してあげることが必要なのだろう、と思った
。若者が求めているのは、社会の中での自分の役割、のようである。それは、大した役割でなくてもよく、小さいながらもしっかりと自分のポジションが感じられることにあるような気がした
。そこに大切なのは、そこは君じゃなきゃダメなんだ
、ということなのだろう。私も若者と関わることが多いので、自分の価値観を押し付けないように、かつ相手の個性を引き出す環境を作り出すことに気をつけなければいけないなーなどと、なんとなく自戒の念も込めて思うのです
。問題は、そこに大人の価値観の押しつけがあることなのかもしれません
。ので、一部の発表では、少し残念な気持ちも持った。当然、それらの発表では、地域地域というのだが、その地域の規模はどれくらいなのか
ということがまったく分類されずに語られていた。地域づくりで、一万人以上いるところと3,000人程度のところと、数百人のところとでは、その地域づくりの形がまったく異なる
。それがごちゃ混ぜになって語られる。地域づくりのモデル検証においては一万人以上のところにおいて語られることが多いのだが、事例においては、数百人から数千人のところでの成功事例が語られる
。これを同率で語られると、方向性が間違うと思うのです。当たり前のことですが、成功事例がその一社の事例では、売り上げ規模が数千万から数億程度で成功になる
。が、数万人以上のところでは、それでは到底賄えない。また、その成功の要因も、観光客が増えたとか、そこに若者が増えたとかになる。それは、地域の外が元気な時にはそれでいいのかもしれませんが、今や経済全体は縮小しているのである
。(なぜなら、経済は人口動態と大きく関わるからである。それは、経済の根本には、付加価値、があるわけで、その価値は人が感じることであるからである。その人の数が減っている以上、経済は縮小することは当然の理となる。)そこには、結局、今までの大人の価値観がある
。自分だけよければいい、という考えである。東京一極集中が問題になっているが、その東京の立場を自分たちの地域に持っていこうとする考えである。それでは、その地域間の競争が激しくなるだけで、根本的な解決にはならない。その競争には、どれだけ投資を集めるか、という形に落とし込まれていく。ので、いずれこのモデルは崩壊することになるのだろう。お互いに疲弊して、よりひどい形に落とし込まれていくのではないだろうか
と危惧してしまう。ここは、学術的にはやはり指標、というものが必要になるのだろう。問題は、PDCAサイクルを回していくだけの、その指標がないことにあるような気がします
。今の状態は、プロジェクトの評価ができず、反省も喜びも生まれないのであります。そのために、何が良くて何が悪いのかがわからない。感覚だけで実行される
。そして、中心人物が自分のリソースを最大限利用して成功に見えているだけであって、その人がいなくなったら、おそらくそこには持続可能性はなく、残るのは、もしかしたら厳しい言い方をすると、残骸という形になるのかもしれない。そのためには、ある部分はシステマチックに動かさなければいけないのかもしれないが、いずれにしても、ある指標に基づき、評価できる仕組みが必要な気がします
。企業30年説、なんてものがありますが、地域経営は、数百年先も考えてやらなければならない。地域が30年でつぶれたら、それは元も子もないのである
。(企業はつぶれたら、どこかに移れるが、地域は移れない、という根本的な問題がある。)昨日の帰りに、今のアメリカで起こっていることが描かれた映画を見てきた
。題名は、『ダムネーション』。今、アメリカでは、電気を作るために作り続けたダムを壊し始めている、というのである。電気で得られた人の利益もあり、100年ほどは潤わせたが、そのために失われた自然環境は、その100年ほどで得られた利益の数十倍の人類の利益を失わせていることに気付き始めたようである
。そのために、ダムを壊して、自然の形に戻そうとしているのである。その映画の中で、反対派の議員の人が話していたが、今起こっている行動を、原始時代に戻そうとしている、と語っていたが、そんなことはない。きちんとした文化文明を経た今の人類である。そこには人類の知恵の蓄積があるのである
。どんなにダムを壊しても、人々の生活が、原始時代に戻ることは決してない。ましては、そこから先の新たな形の文化文明がある可能性さえある。なぜ、健康を壊してまで、夜遅くまで仕事をするのか
なぜ、夜空の満天の星を捨ててまで、明るくしなくてはいけないのか
夜空の満天の星が好きな私として、そんな環境を捨ててまで起こす人間の行動などあるのだろうか
と、思うのでした。。。