2014年9月16日(火)赤口
今日は,驚いたことと反省することから
。
驚いたことは,今日誕生日だった人の話
。長い間の友人が今日誕生日だったのですが,先日FBで久しぶりの友人も同じ誕生日だったことを知った。こんな偶然ってあるんだなーと,驚きひとつ
。(今日誕生日のすべての人に,誕生日おめでとう
。この世に生を受け,私に少なからず関わってくれて感謝です。そして,今日まで関わってくれ,また生を継続してくれていること。このことだけでも誕生日はいつまで経っても,おめでとう,だと思っていますし,おめでとうの気持ちを伝えたいと思っています
。)
そして,反省することは,自分の行動。基本的には,私は,公平に対峙することを心掛けているのですが,ある記事に対してそれが崩れてしまったこと。崩れた判断として,罪を憎んで人を憎まず,の姿勢が崩れたことにある
。その人の考えが書かれた記事なのですが,その内容に対する問題に対する指摘についてです。そのことは考え方がいろいろある人間の中では仕方ないことと思うのですが,その人の仕事に対する指摘は行き過ぎだと感じています
。反省です
。なぜ,これをしてはいけないか
というと,これをしてしまうと,議論が成り立たなく,最後は行き過ぎると殴り合いのケンカでもしない限り終わらなくなってしまうからであります。(あくまで行き過ぎると,である,,,あしからず。)議論というのは難しい。冷静に対応しなければならない。そのためには,そこを切り替えなければならない。(そこというのは,その発言がその人の理論なのか,その人の感情なのか,ということである。)これを見極めるためには,やはり多くの議論が必要なのだろう,とも思う。とりわけ,それを書物や文字から読み解くためには,多くの書物を読まなくてはならないのだと思う。(こうすることによって,批判的に読み解く,ということができるようになるのだと思う
。)
この書物から読み解く作業において,昔の人は修行をしていた。おそらく,人は生きている間は修行の連続なのではないだろうか
かくいう私も,いつまでも修行の身である。この修業の心得として,謙虚,謙遜というものがあると思う。能ある鷹は爪を隠す。この言葉には,その謙虚・謙遜というものが包含されている気がする
。ここには,常に驕らず,常に謙虚に学んでいこうという姿勢が隠されているのだと思う。日本人は,その謙虚謙遜を尊ぶ文化があった。が,近年は欧米の文化が導入され,主義主張が強くなり,その日本独特の文化が薄れているような感がある。それは,ひいては人間がすべての頂点で,服従させるような考え方にまで及ぶ。山の頂点は,自然の風景を見てみればわかると思うが,人類70億人が立てるような場所になるほど広くない。そのためには,山のすそ野はその何十倍何百倍も広くなくてはならない
。そう考えると,山の頂点ではなく,その裾野にいることの方が,現実的なことのような気もする。そのための謙虚謙遜なのだろう
。そんなことを思いながら,まだまだ能ある鷹にはなれないなーと反省をし,これからもまだまだ修行をしていこうと思う。
修行には,つらいイメージもあるが,つらいことがあるからこそ,ちょっとした幸せに気付くことが多いという,そんなメリットも多い。そんな楽しい人生をこれからも歩んでいきたいものだと,今日の行動に反省しながら,密かに思うのでした。
。。

今日は,驚いたことと反省することから
。驚いたことは,今日誕生日だった人の話
。長い間の友人が今日誕生日だったのですが,先日FBで久しぶりの友人も同じ誕生日だったことを知った。こんな偶然ってあるんだなーと,驚きひとつ
。(今日誕生日のすべての人に,誕生日おめでとう
。この世に生を受け,私に少なからず関わってくれて感謝です。そして,今日まで関わってくれ,また生を継続してくれていること。このことだけでも誕生日はいつまで経っても,おめでとう,だと思っていますし,おめでとうの気持ちを伝えたいと思っています
。)そして,反省することは,自分の行動。基本的には,私は,公平に対峙することを心掛けているのですが,ある記事に対してそれが崩れてしまったこと。崩れた判断として,罪を憎んで人を憎まず,の姿勢が崩れたことにある
。その人の考えが書かれた記事なのですが,その内容に対する問題に対する指摘についてです。そのことは考え方がいろいろある人間の中では仕方ないことと思うのですが,その人の仕事に対する指摘は行き過ぎだと感じています
。反省です
。なぜ,これをしてはいけないか
というと,これをしてしまうと,議論が成り立たなく,最後は行き過ぎると殴り合いのケンカでもしない限り終わらなくなってしまうからであります。(あくまで行き過ぎると,である,,,あしからず。)議論というのは難しい。冷静に対応しなければならない。そのためには,そこを切り替えなければならない。(そこというのは,その発言がその人の理論なのか,その人の感情なのか,ということである。)これを見極めるためには,やはり多くの議論が必要なのだろう,とも思う。とりわけ,それを書物や文字から読み解くためには,多くの書物を読まなくてはならないのだと思う。(こうすることによって,批判的に読み解く,ということができるようになるのだと思う
。)この書物から読み解く作業において,昔の人は修行をしていた。おそらく,人は生きている間は修行の連続なのではないだろうか
かくいう私も,いつまでも修行の身である。この修業の心得として,謙虚,謙遜というものがあると思う。能ある鷹は爪を隠す。この言葉には,その謙虚・謙遜というものが包含されている気がする
。ここには,常に驕らず,常に謙虚に学んでいこうという姿勢が隠されているのだと思う。日本人は,その謙虚謙遜を尊ぶ文化があった。が,近年は欧米の文化が導入され,主義主張が強くなり,その日本独特の文化が薄れているような感がある。それは,ひいては人間がすべての頂点で,服従させるような考え方にまで及ぶ。山の頂点は,自然の風景を見てみればわかると思うが,人類70億人が立てるような場所になるほど広くない。そのためには,山のすそ野はその何十倍何百倍も広くなくてはならない
。そう考えると,山の頂点ではなく,その裾野にいることの方が,現実的なことのような気もする。そのための謙虚謙遜なのだろう
。そんなことを思いながら,まだまだ能ある鷹にはなれないなーと反省をし,これからもまだまだ修行をしていこうと思う。修行には,つらいイメージもあるが,つらいことがあるからこそ,ちょっとした幸せに気付くことが多いという,そんなメリットも多い。そんな楽しい人生をこれからも歩んでいきたいものだと,今日の行動に反省しながら,密かに思うのでした。
。。