2014年7月26日(土)大安

今日のラジオで,面白い話題が話されていた
異性の嫌いなところ,というテーマで,男の人が思うことで,女の人がかっこつけについて文句を言うことを許せない,というのだ。その話の続きで,男のかっこつけは,女のおしゃれと同じじゃないかというのだ。男のかっこつけに文句を言うなら,おしゃれに気を使うな,というのだ。おもしろい視点だと思った。たしかに,どちらも異性を意識しての形なのかもしれない。しかも,その意識がなくなったとき,人としてのがんばり,は少なくなるのではないかとも思った

若い頃は,かっこつけやおしゃれになりたくて,流行に敏感になったり,バンドをやったり,勉強を頑張っていたりした部分もあったように思う。(結構,大物ミュージシャンに音楽を始めたきっかけを聞くと,モテたくて始めた,ということを聞いたりする笑い,,,あしからず。。。)いい大学に行きたい気持ちも,もしかしたら,そんなかっこつけやおしゃれと思うところで生きたい気持ちもあったのではないだろうかとも思った笑い(そんなことはない,と思う人が大半な気もするが,今日はちょっとそんな偏った考え方で考えてみたい,,,あしからず。。。)でも,そう考えると,かっこつけやおしゃれを意識しなければ,人としてのがんばりは望めないわけなので,それはそれで大切な要素のような気もする。

今日は,オープンキャンパスだった。そんな時に改めて思うのだが,私が大学を選んだ基準は,はじめの頃はそれこそ偏差値だけだったような気もする。でも,後々ゆっくり考えだしたとき,私のその基準は,図書館の充実度や先生の経歴,先生の充実度に切り替わっていったことを思い出した。そうなのです,大学でのゴールとは,大学で頑張った後,自立した自分が社会に出てからのかっこつけやおしゃれにつながっていくと思うのです。これがいいかどうかは,賛否両論あるような気もしますが,でも,そんな基準があってもいいような気もした。たしかに,偏差値が高い大学は,自分の人生にとってのかっこつけやおしゃれに感じられる確率が高い可能性があるような気もする。が,それは確率の問題であって,そのかっこつけやおしゃれの基準が変わってきたら,生き方そのものが変化していくような気もする

今や,地方の時代になりつつある。都市での統一された没個性よりも,個性や多様化が大切にされるような時代だ。しかも,都市型の問題については,地方の方が先走っている。ということは,地方での活動のほうが,都市を先導する可能性も高まっていることにあるような気もします。さて,そのようなときに,いまだに続く偏差値偏重主義に変化をつけられることができるのか冷静に見てみると,地方の大学は,地方行政も協力体制にあるので,意外と手厚いサポートがあったりする。ということは,地方の方に目を向けることが,もしかしたらその偏差値偏重主義に変化をつけるきっかけになるのかもしれない。それは,先に話したように,地方の方が都市を先導しているという意識の変化であり,田舎の方がおしゃれでかっこつけられている,ということの考え方に変化させることにあるのではないだろうか(実際,視点を変えると,田舎の地域の方が自立していて,おしゃれでかっこつけられている,,,あしからず。。。)

まだまだ,都会の方がおしゃれでかっこつけられているイメージを持っている人が多いみたいだが,この田舎の方が自立していて,おしゃれでかっこつけられているという視点を持っていってほしいものだなー,と密かに思うのでした。。。