土浦スタジアムにいくのは
令和3年以来ですね
夏の大会は毎年いければ
いいと思うのですが
職場環境や職種によっては
野球どころではない
という状態に陥る場合もあると思います
介護職をしていた昨年は
球場にいこう、応援にいこう📣という
気力が湧きませんでした
今年は二年間の空白期間を経て土浦へ
僕たちが高校野球の現役時代は
"土浦市営球場"
が一般的な名称でした。
2015年に取手二高の試合を応援に
いったときも、いまのような
頑丈な球場ではありませんでした
この年の取手二高は惜敗でした😢
いまよりも、スタンドの位置は低く
グラウンドの選手との近さはありましたね
TSUKUBA
〜筑波大学硬式野球部OB〜
彼らが監督、コーチ、責任教師として
茨城高校野球の現場に戻り
着実に力を付けていることを実感する
常総学院
〜甲子園で活躍したOBの進路〜
東京六大学においては
法政大学 明治大学
上記の二校が人気であると実感する
そして平成27年
平成28年
平成29年と時は流れ…
令和元年
この年にリニューアルされた
土浦スタジアム🏟️に
はじめて足を踏み入れました
グランドキーパーは
土浦日大高校でした。
2002年の最後の対戦校
オフの日に土浦で試合があった日が
当日の2試合、四校でした⚾️
4年ぶりの、新・土浦球場・取手二髙は
一塁側でした。
このときは、快勝しましたね
令和6年の今
大会冊子を買い
各高校のチーム紹介
大会役員などを眺めると
現役当時の恩師であったり
2002年茨城大会や、その前後の年代の
選手だった人
筑波大学硬式野球部で、選手としてリーグ戦で活躍していたり、学生コーチとして、チームを支えていた人の名前を見つけたりしました。
そうした多くの年代の人達が
協力して、夏の大会を支えているんだな、と実感しました😭
学生を卒業すると
母校や、自分を育ててくれた学校のことが気に掛かったり
年度末の公立校教職員の
人事異動の新聞号外で
思い出の先生
の名前を見つけて
当時の気持ちが湧き上がることもあります。
夏の大会
それは高校3年生の引退が懸かり
且つ全国優勝をめざせるものでありますが
4月スタート 3月年度末
この日本の暦に於いては
いわば中間の時期に
恩師や先輩・後輩たちに
思いを馳せる機会でもある気がします
そして、明日はまた日常の仕事に向かっていきます