当たり前のことを言えなくなって #13-5
ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのが2019年3月、それから約4年、人生は大きく変わりました。生活のすべてがベットの上になりました。
病気の進行による構音障害(言葉を理解し、伝えたい言葉ははっきりしているが、音を作る器官やその動きに問題があって発音がうまくできない状態)で舌を含む口周りの微妙な動きに支障が出始めたのは、1年7,8前ヶ月位でしょうか?滑舌が悪くなった感じだけでなく、口や舌周辺の微妙な動きが悪くなってきたようで、本人はこれまでと同様に話しているつもりが、聞き返されることが明らかに増えてきたのが、最初のころの症状でした。特に昨年春ごろから急速に進んでいる感じでした。
その頃に言語聴覚士さんと相談して、意思伝達装置を複数機種、試して相性の良かった機種を導入しました。透明文字盤のコミュニケーションボードも使っています。
構音障害の進行は他の症状よりもスピードがはやく、意思伝達装置を早めに導入して正解でした。また、装置そのものはwindows11のノートパソコンがベースになったものなので、パソコンとしてフル活用しています。
現在の構音障害の状態は、残念ながらかなり進行しており、会話のほとんどは通じないと言っていい状況です。確かに意思伝達装置は非常に便利ですし、日常生活に欠かせないものです。しかし、通常会話の能力には到底及ばないですし、これを導入したからと言って、コミュニケーション障害の解消というわけにはいきません。
そして、この一年間で喋ることの大切さを痛感しています。
それは、当たり前の言葉の大切さです
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」
「さようなら」「いってらっしゃい」「いってきます」
「ありがとう」「ごめんなさい」
「お疲れ様」「よろしくお願いします」
普段から普通に使うフレーズ、当たり前のタイミングで使うフレーズ、人が生きていく中で必要なフレーズ
このような言葉を自分の気持ちで心を込めて、自分の声を発して伝えられないこと。
長い会話など出来なくなっても、仕方ないかもしれません。ただ、当たり前の普通に使う言葉を使えないのは……。
実に寂しい。
実に悔しい。
実にストレス。
これもまた、この病気の現実。受け入れるしかないし、この状態で出来ること、楽しめることを考えるしかないです。
(このブログについては、自分の対応できる範囲の中で書かせていただいております。そのため、自分を含む個人、法人、団体、組織、などの特定につながるような情報は記載しておりません。ご了承ください。そのため、わかりにくい内容になる場合があります。)