今、受けているオンライン講座でのこと
複数で受講する形なので、
先生が受講生それぞれと話すスタイルで、
講座生どうし直接話す機会はほぼない。
その日の受講は、私とTさんの2人。
Tさんとは数回ご一緒していた。
終わりに近い時間に、
私より先輩のTさんに、
「ななさんは、関西の方ですか?」
「楽しい。おもしろい。」
と言われた。
びっくり。
確かに関西弁は隠しきれていないけど、
先生に聞かれたことに答えていただけで、
なんらおもしろいことを言った覚えもない。
なんなら、こういう場では
猫かぶってる状態に近かった。
どちらかというと
おもしろみのない自分に思えていたから
ちょっと戸惑ってしまい、
お礼を言いつつも、内心まごまご。
そこで終わるかと思いきや、
先生から、
「そう独特のね!」
という同意が入る。
そして、先生が
「関西人は、
絶対に人にまじわらないというか
まぎれていかないから、
それがいいですよね!」
と。
同じく関西人の先生にそう言われる。
え?
話が変わってきてない?
「おもしろい」という話ではないの?
Tさんも、「うんうん」
と聞いておられ、
「最高」と言われる。
私は、
「えぇそうですか?」としか言えず
気の利いた返しもできない
関東在住の出身関西人。
「話すとおもしろい」と言われたことは
過去にも何度かある。
でも、この講座では、
おもしろさを発揮するほど
発言していない。
それなのに、
どこがおもしろいというのか?
という疑問もあった。
それ以上に気になったのが、
私は先生の言葉だった。
「独特」
「人とまじわらない、まぎれていかない」
しかも「絶対に」という言葉までついていた。
え、私
そんなにまで
自己主張をしていたのか?
それとも、
協調性のないことを言っていたのか?
空気が読めていなかったのか?
ドキッとした。
思わず、後日アーカイブで
聞き直したほど笑
雰囲気的には、褒められてるようには感じる。
でも、その言葉の裏の意味を考えてしまう。
自分では、
このような場では
自信もないし、
何の個性も発揮できない
つまらない人間だくらいに思っている。
それなのに、
「独特な個性を発揮している」と言われた。
自分ではわからないものなのね。
自分の内側で感じている自分と
実際に外側に現れている自分。
そこに思った以上に
ギャップがあるということか。
今回のことを考えていたら、
ふと思い出したことがある。
きっと、今回のことと
通じていることだと思うこと。
ひとつめ
前の職場で、
「飄々(ひょうひょう)としている」と言われたこと。
あの時も、なんだかギャップを感じた。
「飄々としている」って、
私の中では「人は人、自分は自分」
という感じで動いているイメージ。
自分は周りを気にして行動している
と思っていたから、
驚いたんだと思う。
ふたつめ
長男が幼稚園へ通うようになった時、
私はフランクに周りの人と
楽しく接していたつもりだった。
だけど、
気づくと、周りはグループ化してて
自分がどこにも入っていなかった。
「あれ?」と思った。
みんなと話して、楽しく過ごしていたのに、
個人的に遊びに誘われるような
関係を深めるきっかけさえなかった。
送迎組だったので、
園庭でみんなと遊ぶだけ。
なぜ、私は
誰かと関係を深められなかったのだろう?
と、しばらく疑問に思っていた。
とはいえ、
どこかで「深い付き合いはしんどい」
という気持ちもあったと思う。
だから、結果的には、
あれでよかったんだと思う。
でも、ちょっと寂しかったのも確か。
今思えば、
私は元々、「深く狭く」タイプなのに、
幼稚園デビューでは、
「広く浅く」よく頑張っていたなと思える。
広く深く、つまりグループでなんて、無理だった。
当時はまだ、自分のことも
よくわかっていなかった。
だから、
「なぜ私は誘われなかったんだろう?」
といろいろ考えた。
気さく全開で
逆に、「いい人すぎた」のかな?
明るく元気すぎるように見えて、
「一人でも大丈夫」オーラを
出していたのかな?
「一人は嫌だ」
「一人だと思われるのが嫌だ」
という気持ちがあったから、
そう見られないように
頑張りすぎていたのかもしれない。
カラ元気振りまいていただけで、
自然体ではなかったから、
人に選ばれなかったのかもしれない。
そんなふうにいろいろと考えていた。
でも、今回、
先生に言われた
「人とまじわらない、人にまぎれない」
という感じ、
当時も
そういう雰囲気を放っていたのかもしれない。
気さくには接する。
でも、自然にグループに入ることはない。
そう考えると、
「飄々としている」と言われたことも、
「まぎれていかない」と言われたことも
どこか通じている気がする。
そして、実は、
先生の言われたことに対して、
「なんとなくわかる気がする」と
自分でも思える部分があった。
まったく身に覚えがないわけではなくて、
「そういう面があるのかもしれない」と
薄々、気づき始めていたようにも思う。
多分、これまでは
人に合わせて生きてきたと思っている。
でも、人に合わせすぎて
自分をなくすのは違う。
どこかに自分の軸は残していたい
そんな気持ちもあったのかもしれない。
だから、
自分では「自分を出していない」と思っていても、
外から見ると、
知らず知らずのうちに、
そういう部分が出ていたのかもしれない。
そう考えると、
職場で、「飄々としている」と言われたことも、
今回、「まぎれていかない」と言われたことも、
少しわかる気がする。
自分では、
おもしろみもない人間だと
思っているのに、
「おもしろい」
「独特」
「まぎれない」
そんなふうに見えていた。
自分では気づいていない
「自分らしさ」って、
勝手ににじみ出るものなのかもしれない。
そして、
自分が思っている自分と
人から見えている自分は、
思っている以上に違うことがある。
自己認識と他者認識のギャップ。
今回のことは、
人から見た自分を知ったというより、
自分ではまだはっきり捉えられていなかった
「自分らしさ」を
人から教えてもらった出来事だったのかもしれない。