■2024/4/15(月)

4/12(金)に胆のう炎のひどいやつで入院し、ここ3日間が山と言われました。

夫は、3日間後の今朝を迎える事ができました。この間、私は夫が入院した個室の病室に簡易ベッドを置いてもらい、入院に付き添いました。

せん妄が始まりました

■昨夜確信したのは、今回の入院時に夫に『せん妄』が突然起こったということです。

・夫の場合、眠って起きた後、毎回、今自分がどこにいるのかが分からなくなります。

大学病院の病室であることを説明すると、『どうして、ここにいるのか?』を聞いてきます。

この3日間で5回くらい聞かれたと思います。

毎回、初めて聞くように質問してきます。

・もう1つは、幻視です。

無いものが見えています。

自分でも、おかしいと思っている時と、

完全に夢を見ているような時があります。

◇前者は、入院したベッドの端の付近に『湖』が見えるというのです。これは、明らかにそんな物が有るわけが無いと頭で分かっているが見えている。そして、それを、誰かに伝えるのは怖かったのだと思います。

夫は私にさり気なく伝えました。そして『一週間前くらいから』と言いました。

そういえば『俺は、もう長くないと思う』と悲しそうに夫が言った時期と一致します。

この一週間、誰にも言えず、夫は悩んでいたのだろうと感じました。

私は2年半前に亡くなった実母の終末期に少しだけ、そういうことが起こることを情報で読んだことがありました。

また、大学病院の入院患者に配られるプリントに、以下のような物が有ったので、すぐにこれが『せん妄』だと気づきました。



◇後者の完全に夢を見ているような時ですが、眠っているわけではありません。
昨夜、深夜に私に、とても嬉しそうな笑顔で『フェラーリは、こうなってるんだね。見て!傘みたいになってるんだね(←コレの意味は私はわかりませんが)』
と言いました。
夫には見えているので、私にも見て見て、と言っているようでした。
夫は、自動車好きで、ベンツやゴルフ、日本車ではマツダロードスターに乗っていました。
流石にフェラーリは乗っていませんでしたが、憧れの車だったのだと思います。
◇その他に、昨夜眠る前に、何もない場所に、『ここにテレビ画面が有って、オレンジジュースが映っている』と言って、悲しい顔をしました。自分でも、無いものが見えていることに気づいているケースです。
◇病室は高層建物の中にありまして、上の方の階に病室は有りますが、3階建てと勘違いしていて、『2階に上がりたい』などと言ったりします。何度も通院した大学病院なのに…

緩和ケアの決心をしました

■夫のせん妄に気づき、私は迷っていた『緩和ケア』を受け入れる決心をしました。

要するに、積極的治療を止めるということです。

夫の場合、治るせん妄ではなく、終末期せん妄ではないかと思います。

夫が、この後、楽に、幸せな終末期となれるよう、私は行動していきたいと考えるようになりました。

私と帰ろうとする夫

■3日間夫の入院に付き添い、今日、私が帰ろうとした時、夫は『俺も帰ろうかな』

と言いましたびっくり

もう、その話の時は、私は驚きませんでした。

『さっき内科の先生が言ってたけど、抗生剤は何日か点滴する必要があるから、あなたはもう少し入院頑張ってね!』

■明日、消化器内科の医師から、私と夫に面談が有ります。

その時、医師は、病状説明と、

夫の残りの余命が約1ヶ月であることを伝えると言ってました。

緩和ケアについても、案内が有るようです。

夫は、入院直後から『家に帰りたい』と切望していますので、在宅緩和ケアになると思います。訪問診療医師の他に、訪問看護師、ヘルパーさん、介護用具等、そろえる必要が有ります。

その他に、緩和ケア病棟に入りたくなった時、入れるように、前もって緩和ケア病棟との面談も行うつもりです。

覚えていた結婚記念日

夫は、今朝、『今日何日?』と聞きました。

『15日だよ』と私が答えると、

『結婚記念日だね』

と夫は言いました。

私は、すっかり忘れていたのに、夫は覚えてくれてました。(毎年、私は忘れてしまってます)

結婚28年目が始まりました。

昨日気付いたのですが、大学病院には、屋上庭園が有って、入院患者や家族が散歩できるようになっていました。
病室の窓から見た景色です。新しく始まった朝ドラの舞台の付近が見えます。