マレーシアゴルフ界のレジェンド!
Nellanプロの伝記「The Legend」を本日ようやく入手しました。
彼とは10年以上前からの友人です。
彼とは会うたび日本人プロとのゴルフ経験を何度も何度も聞かされました。
青木功、杉原輝雄、ジャンボ尾崎など彼が一緒にプレーした、
もしくは同じ試合でしのぎあった、
もしくは一緒にディナーをした
などの逸話が次から次へと。
とにかく、ゴルフの話題に事欠かないマレーシア人プロゴルファーです。
いくつになってもゴルフが大好きというオーラが半端ない!
ご冥福をお祈りします。
Vellasamy NELLAN - Malaysian Professional Golfer
ネランの伝記が世にでる直前、5月16日(2020)に突然かれは逝ってしまいました。
彼はマレーシア歴代首相たちがゴルフをする際
キャディーとしてサポートし、
マレーシア王族たちにゴルフレッスンをしてました。
貧困家庭に生まれながらゴルフの才能を見出したが、
飛行機事故、癌という過酷な状況からも生還し、
その後2回のゴルフワールドカップで国のためにプレイした。
そんな彼をマレーシアでは誰もが
「マレーシアゴルフ界の伝説」と呼んでます。
<伝記から抜粋>
私たちは皆、ネランの話を聞いたことがある。いくつかは大げさ、またいくつかは突飛な、だがいずれもとても楽しいものだ。しかし、それらを探求していくと、それらは過去50年に渡るマレーシアゴルフのカラフルな歴史を語っている。彼はすべての偉大な人々に会っている – ジーン・サラゼン、サム・スニード、アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤー、ベルンハルト・ランガー、セベ・バレステロス。ゴルフ関係でなくても、歌手のエンゲルベルト・フンパーディンク、クリケット選手のギャリー・ソバーズ。ボクシング重量級チャンピオンのジミー・エリスともラウンドもしており、彼ら全員に関しての伝えられる物語も持っている。11人兄弟の長子がどのようにRSGC(ロイヤルセランゴールゴルフクラブ)のキャディーとなり、長い間マレーシアを代表するゴルファーとなったのか。
トゥンク・アブドゥル・ラーマン(マレーシア初代主相)、リー・クアン・ユー(シンガポール初代主相)やアブドゥル・ラザックに1ラウンド55センでキャディーをしていた頃から世界中でプレイするようになるまで、ネランは彼の中の「3つのメジャー」を誇りに語っていた。それらは、1983年のスバン空港でのマレーシア航空機事故、2007年の大腸がんの克服、そして1987年のマレーシアPGAの勝利だ。
慢性的なマレーシアプロトーナメントの欠如は彼のキャリアを後退させたが、それは引っ張りだこのコーチとして、それから愛すべき性格で彼の魅力を高める多くのトリックショットのレパートリーを進化させることを止めなかった。
RSGCとの長年の関係を経て、ネランは今サウジャナ・ゴルフ&カントリークラブのアンバサダーとなり、彼の指導スキルはアジア全体で依然として求められている。何よりも、彼はゴルフゲームにとって卓越したアンバサダーであり、永久的な回想録をもって、適切に祝われるべきである。
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わたしは、おり悪く日本に一時帰国中。
3月のコタペルマイGCCでのマレーシアオープン
の際あったのが最後となりました。
この本が出版されることを嬉しそうに話してくれました。
日本語で出版したいとも。笑
いつもの大げさなな話を
まじめに語っていた彼のことを思い出します。
私にできることはここにあなたとの記憶を
日本語で語ることくらいです。
マレーシアゴルフが大好きな一人として、
Nellanプロの成したマレーシアゴルフ界への貢献は
日本人のわたしでも決してわすれません。
マレーシアゴルフ業界の伝説!Mr,Nellan Pro
やすらかに。
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