キリスト教的
民主党の土肥議員が、こともあろうか韓国まで出向いていって、「日本は竹島の領有権を放棄する」という声明に「日韓キリスト教議員連盟」などという団体の
日本側会長として署名をしたそうな。いくらなんでもこれは常識がなさすぎるのではないか。国益を考え、国家の発展と国民の保護をまず第一に考えねばならぬ
はずの我が国の国会議員が、こともあろうに、我が国が領有権を主張する領土を、他の国に受け渡すような態度を取るとは、言語道断である。国益にそぐわない
ような政策に夢中になっている民主党の内部からさえも批判の声が上がっているほどだから、その過ちは看過できない。まさしく国会議員としての資質が皆無で
ある。即刻、議員を辞めるべきである。
本人曰く「キリスト教的」な考えで署名をしたらしいが、もし本気でそう言っているのであれば、土肥氏は国家議員だけでなく、なんでも牧師もしているという らしいから、牧師も辞めるべきである。はっきり言わせてもらうが、キリスト教徒の面汚しでしかない。もっとも、エセ平和主義者のクリスチャン達はそう思わ ないだろうが……。
キリストは確かに隣人愛を教えている。隣人愛とは、ただやみくもに隣人を愛するだけのことではない。滅私奉公というのとは、ちょっと違う。自分を愛するよ うに、隣人を愛せよとキリストは言っている。つまり、自分を愛せないものは、他人を愛することができないということだろう。自分を大切にできないものに、 他人を守ることはできないということだろう。何より、隣人愛というのは、信仰の結果として現されるべきものではないだろうか。隣人を愛したから、信仰が認 められるというものではない。信仰があれば、他者を大切に思いやることができるということではないだろうか。
もし土肥議員が本当に「キリスト教的」に考えたのであれば、日本の領土を放棄するような声明に署名をすることはなかったであろう。それが相手に対する思いやりというのであれば、大きな間違いである。それは思いやりではなく、単なる迎合に過ぎない。
このような人物は国を誤った方向に進めてしまうであろうし、万が一にも牧師として講壇に立とうものなら、信徒を誤った方向に導いてしまいかねない。早めに 世間の表舞台から去り、ひっそりと隠居生活でもすべきだろう。本当にキリスト教徒であるならば、一人になれる時間を感謝して受け入れることができよう。も しそうすることができないのであれば、単なる権力の亡者でしかない。
本人曰く「キリスト教的」な考えで署名をしたらしいが、もし本気でそう言っているのであれば、土肥氏は国家議員だけでなく、なんでも牧師もしているという らしいから、牧師も辞めるべきである。はっきり言わせてもらうが、キリスト教徒の面汚しでしかない。もっとも、エセ平和主義者のクリスチャン達はそう思わ ないだろうが……。
キリストは確かに隣人愛を教えている。隣人愛とは、ただやみくもに隣人を愛するだけのことではない。滅私奉公というのとは、ちょっと違う。自分を愛するよ うに、隣人を愛せよとキリストは言っている。つまり、自分を愛せないものは、他人を愛することができないということだろう。自分を大切にできないものに、 他人を守ることはできないということだろう。何より、隣人愛というのは、信仰の結果として現されるべきものではないだろうか。隣人を愛したから、信仰が認 められるというものではない。信仰があれば、他者を大切に思いやることができるということではないだろうか。
もし土肥議員が本当に「キリスト教的」に考えたのであれば、日本の領土を放棄するような声明に署名をすることはなかったであろう。それが相手に対する思いやりというのであれば、大きな間違いである。それは思いやりではなく、単なる迎合に過ぎない。
このような人物は国を誤った方向に進めてしまうであろうし、万が一にも牧師として講壇に立とうものなら、信徒を誤った方向に導いてしまいかねない。早めに 世間の表舞台から去り、ひっそりと隠居生活でもすべきだろう。本当にキリスト教徒であるならば、一人になれる時間を感謝して受け入れることができよう。も しそうすることができないのであれば、単なる権力の亡者でしかない。