八朔 | あるキリスト者のつぶやき…

八朔

八朔と書いて、はっさくと読むらしい。今日の帰り道に駅前のスーパーの前で果物を売っているところを通り掛かったのだが、そこに「八朔」そしてその下に小さめの字で「はっさく」と書いてあるのを発見してしまった。はっさくが何であるかは知っているが、はっさくを「八朔」と書くのは初めて知った。考えてみれば「八朔」という字を見たことは今までに何度かあったように思えるが、果たしてそれを何と読むのかなどとは、気にとめたことさえなかった。

知ったから何か良いことがあるわけでもないし、はっさくを「八朔」と書くことを知ったからといって、何か特別に役に立つわけではないのだが、ちょっと得した気分になったことは否めない。

本をたくさん読む方だと自負している私であるが、改めて考えてみると、まだまだ知らない漢字、単語、読みというものが数多くあるものだ。「はっさく」なんでいうものは実に身近な存在なのであるが、それが「八朔」とは全然結びつかなかったというくらいだ。意外と毎日の生活の中で無意識に見過ごしているものがあるのではないだろうか。

読書は私の趣味でもあり、また習慣でもあるのだが、そこに出てくる言葉でも初めて目にするものが往々にしてあるものだ。何のことはない、私の語彙が少ないだけなのだろうか……まぁ、若い頃の6年間を海外で過していたのだから、そうなっても仕方ないだろう。なんていうのは、所詮私の知識不足の言い訳にしかならないのだろうか。

何はともあれ、新しく目にしたり耳にした言葉を覚えていけば良いのだろう。とは言うものの、もはや見たり聞いたりすることを片っ端から記憶に留めておくことができるような脳みそではない。いや、昔っから記憶力はあまり良い方ではなかったが、年齢を重ねれば重ねるほどに、新しいことを留めておくのは難しくなっていくようだ。こればっかりは人間の脳の仕組みがそうなっているのだから私にはどうにも変えることはできない。

しかし何もできないわけでもないだろう。新しく知った言葉を使うように心がければ、自然と身についてくるものであろう。そのような心がけ一つでなんとでもなるのではないだろうか。



……なんて、ことを去年も書いた気がする。だとすれば、あまり学習していないよな。情けなや。