緑茶
昨日から緑茶を持参で仕事に行くようにした。なんでも緑茶は体にいいから、と妻が言うからだ。ダイエット効果もあるとか。自分でお茶を入れなければならないとか、ちょっと面倒な気もしなくもないのだが、体にも良い、ダイエット効果もある、おまけにお茶代が節約できると、良いことずくめなので、文句は言えまい。
さて、ペットボトルの緑茶はそれなりに緑茶の味がするから良いのだが、私が今まで普段買っていた紙パックのお茶は、安くて、たくさん入ってるのは良いとしても、なんか緑茶を水で薄めたみたいで、あまりおいしいものではなかった。でも、量と値段に魅力を感じたわけだから、質は我慢するしかない。そんな安っぽいお茶ばかりを飲んでいたわけだから、さすがに入れたばかりのお茶を飲むと味の違いが歴然である。比べるのも馬鹿らしく思えるくらいだ。さすがに手間を掛けるだけの価値はあるというものだ。
ついでまでに言うと、今はお茶っ葉をティーバッグに入れたものをマグカップに入れて、お湯を注いでいるわけだが、お茶っ葉というやつは水を吸うとふやけて膨張してしまうのか、今にもティーバッグが破裂しそうなまでに膨らんでしまう。もっともティーバッグにお茶っ葉を詰めすぎたということなのかもしれないが、ひとつのティーバッグで1日持たせるには、それくらい必要なのかも知れない。もっともそれを用意してくれたのは妻なのだから、自分では今さらお茶っ葉の量を減らすこともできないのであるが。
まぁ、ふやけてしまうのは仕方ないにしても、ふやけ方が半端じゃない。お茶が入ってから、ティーバッグをマグカップから引き上げると、カップの中にはお茶が半分くらいしか残っていないのだ。うーん、なんとかならないものだろうか。やはりこれはティーポットか急須が必要かもしれない。しかし職場の机の上に急須を出しておくというのも、どうもいまいち、ぱっとしないね。やはりティーポットにすべきか。どこかで購入しなければ。
自分でお茶を入れるのは初期投資は掛かるけれども、それに見合うだけのものはあるだろう。しかし、今は寒い冬だから良いとしても暑い夏場はどうすればいいのだろうか。やはり夏と言えば……麦茶か。麦茶を入れて冷まして飲むかな。まぁ、今から夏の心配をするのもどうかと思うけどね。
要するに、手間が掛かることに妥協できるのであれば、お茶なんていうのは完成品を買わずに、自分で作れば良いことばかりなのである。思えば昔は(いや、そんな昔ではなくて、私が中学生とかの頃だけど)、お茶を買って飲むなんて習慣は無かったではないか。
さて、ペットボトルの緑茶はそれなりに緑茶の味がするから良いのだが、私が今まで普段買っていた紙パックのお茶は、安くて、たくさん入ってるのは良いとしても、なんか緑茶を水で薄めたみたいで、あまりおいしいものではなかった。でも、量と値段に魅力を感じたわけだから、質は我慢するしかない。そんな安っぽいお茶ばかりを飲んでいたわけだから、さすがに入れたばかりのお茶を飲むと味の違いが歴然である。比べるのも馬鹿らしく思えるくらいだ。さすがに手間を掛けるだけの価値はあるというものだ。
ついでまでに言うと、今はお茶っ葉をティーバッグに入れたものをマグカップに入れて、お湯を注いでいるわけだが、お茶っ葉というやつは水を吸うとふやけて膨張してしまうのか、今にもティーバッグが破裂しそうなまでに膨らんでしまう。もっともティーバッグにお茶っ葉を詰めすぎたということなのかもしれないが、ひとつのティーバッグで1日持たせるには、それくらい必要なのかも知れない。もっともそれを用意してくれたのは妻なのだから、自分では今さらお茶っ葉の量を減らすこともできないのであるが。
まぁ、ふやけてしまうのは仕方ないにしても、ふやけ方が半端じゃない。お茶が入ってから、ティーバッグをマグカップから引き上げると、カップの中にはお茶が半分くらいしか残っていないのだ。うーん、なんとかならないものだろうか。やはりこれはティーポットか急須が必要かもしれない。しかし職場の机の上に急須を出しておくというのも、どうもいまいち、ぱっとしないね。やはりティーポットにすべきか。どこかで購入しなければ。
自分でお茶を入れるのは初期投資は掛かるけれども、それに見合うだけのものはあるだろう。しかし、今は寒い冬だから良いとしても暑い夏場はどうすればいいのだろうか。やはり夏と言えば……麦茶か。麦茶を入れて冷まして飲むかな。まぁ、今から夏の心配をするのもどうかと思うけどね。
要するに、手間が掛かることに妥協できるのであれば、お茶なんていうのは完成品を買わずに、自分で作れば良いことばかりなのである。思えば昔は(いや、そんな昔ではなくて、私が中学生とかの頃だけど)、お茶を買って飲むなんて習慣は無かったではないか。