床屋について思う | あるキリスト者のつぶやき…

床屋について思う

今日は仕事納め。明日から年末年始の休暇の始まり。なんだかこの1年もあっという間だった。ついこの前、2010年になったばかりだと思ったのになぁ。

さて、それはそうとして、おととい床屋に行った時にふと思った。床屋に行くと、髪の毛を切ってもらって、髪を洗ってもらって、おまけに簡単なマッサージをしてもらって、仕上げに髭を丁寧に剃ってくれるのである。至れり尽くせり、である。とは言っても、1回3990円だから、安いというほどのものではない。むしろ、ちょっと高いとさえ思える。アメリカにいる頃は床屋も10ドル程度だったから、日本円にすると1000円にも満たない。でも、本当に髪を切るだけであった。日本でも駅とかに簡単かつ安く髪を切ってくれる床屋が増えてきたが、私は行ったことがないから分からないけれども、あれも髪を切るだけらしい。それを考えると、あのサービスは、独特のものだろう。

どうせ髪を切るのが主たる目的であるならば、安い方へ行けば済むことかも知れない。髪は自分で洗えば済むことだし、髭剃りだって普段は自分でやっていることだから、わざわざ金を払ってまで他人にしてもらうことでもない……と言ってしまえば、その通りなのかもしれないが、それでも私個人としては多少高くとも床屋に行く方を選ぶ。高いからそうそう頻繁に行けるわけではないが、他の安いところへ頻繁に行くくらいであれば、ちょっとの間我慢してでも床屋を選ぶだろう。

なぜなら、自分は何もせずにじっとしたまま、ぼけーっと椅子に座っていれば、髪の毛も顔もキレイさっぱりにしてくれるのだ。これが何とも言えぬ快感なのである。もはや私にとっては、なくてはならない存在である。おまけに夏から顔を見せていなくても私の名前さえも憶えておいてくれる。いやはや、ありがたいことだ。医者と床屋は行きつけのところを持つに限る。