ドアが、ドアを | あるキリスト者のつぶやき…

ドアが、ドアを

ホントにどうでもいいことかも知れないが、電車のアナウンスで……

京急「ドアを閉めます」

JR「ドアが閉まります」

という違いがある。普段は聞き流しているから、気にすることもないだろうけど、しばらく前に人から教えられて、その後、意識して聞いたことがあるが、確かに違うのである。

両者の違いは、ドアが主語であるが、目的語であるか、というくらいだ。だから、どうしたって言われてしまえば、そうなのかもしれないが、この違いが一度気になると気になって仕方がない。個人的にはドアが目的語である京急のアナウンスの方が違和感を感じない、というか、私の好みにあっているような気がする。

JRの「ドアが閉まります」だと主語がドアになる。ドアがまるで自分の意志で閉まるかのような感じがして、どうにもすっきりしない。ドアを閉めるのは、車掌さんじゃないのかよ、って思うのである。まさか車掌さんよりもドアの方が重要というわけでもあるまい。

一方、「ドアを閉めます」という方が、車掌さんがすべてを掌握しているようなニュアンスがあって、聞く側としては安心感のようなものを感じるのだ。

まぁ、どちらにしてもこんな細かいことを気にする必要はないんだろうけどね。いやぁ、日本語っておもしろい。