季語 | あるキリスト者のつぶやき…

季語

日本語の素晴らしいと思える特徴のひとつに、季語というものがある。手紙やら俳句やらで、その季節柄を表現するための言葉である。英語には存在しない。英語以外の言語には通じていないので、他の言葉は分からないからなんとも言えないが……なぜ季語というものがあるのだろうか。日本人の美意識というものだろうか。四季がはっきりしている国土に長い年月住み続けてきたが故に、季節を感じること、そして季節を表現することに良い意味で敏感になっているのかもしれない。身びいきな言い方かも知れないが、日本が奥の深い言語であると思う。とは言っても、私は英語との比較しかできないから、あまりえらそうなことは言えないが。もっとも、英語は英語の良さというものもある。どちらも場合に応じて使えばよい。

さて、今は9月。暦の上では思いっきり秋である。今の季節の季語は……ここで、ぱっと思いつくことができれば理想的なんだけれども、どうにもそんなセンスはないらしい。

というわけで、残念ながら季語についてあれこれ述べるのは、どうも私の知識ではこれ以上無理っぽいのでやめておこう。

それはそうとして、今は秋である。秋っていうとちょっと涼しい印象があるんだけれども、なんだか今年はそんな気分にならない。それというのも、まだまだ体を動かすと汗ばんでしまうからだ。暑がり汗かきの私にとっては、もう一踏ん張りというところか。最高気温が20度未満になるくらいが、ちょうど良いのである。北国出身ってわけじゃないんだけれどね。今くらいなら半袖で平気なくらいだ。いや、半袖でも歩いてると暑くなるし、夜寝るときはTシャツ+短パンがちょうど良い。

という私のような者もおれば、先日などは電車の中でダウンのベストを着て、厚手のタイツに、ふかふかのブーツを履いている若い女性を見かけてしまった。今からダウンのベストですか!?しかもフードの裏地は毛糸で、周囲には(偽物だろうけど)毛皮なんかついちゃってるし。今からそんなに寒がってたら、冬になったら一体どうするつもりなんだろうか。

ヘンな話ではあるけれど、季節感を感じることのできる季節になってもらいたいものだ……。秋なら秋らしくね。