呉越同舟 | あるキリスト者のつぶやき…

呉越同舟

「呉越同舟」

先日のことであるが、新聞で日本語検定の記事が載っていたらしく、妻が「呉越同舟」という字を見て「何て読むの?」と聞いてきた。「ごえつどうしゅう」と答えた。どうやら妻は別の読み方をしていたらしい。なんでアメリカに6年間住んでいて日本語のブランクがある私の方が読めるのだ……。

んで、妻は「どんな意味なの?」と聞いてきた。それはだな……何だよ、忘れちゃったじゃないか。「同舟」っていうのは、同じ舟ってことだろう。だから「呉越」っていうのは、きっと昔の中国には「呉」って場所があってだな、それを超えるっていうことだ。つまり、同じ舟に乗って呉を越えるっていう意味だろう……なんて、一瞬思ったのだが、それでは四字熟語として意味がない。だからきっと何かもっと正しい意味があるに違いない。ひとまず、妻の質問には「さぁー、忘れちまったよ。」と答えて逃げた。

というわけで、後から辞書で調べてみた。「同舟」は間違ってはいなかったけれども、「呉越」は大間違いであった。確かに「呉」は国の名前だという点においては、あながち間違ってはいないとしよう。「越」というのは、「越える」という意味ではなく「越」という国の名前である。中国の戦国時代において、両国は仲が悪く、互いに争いあっていたということだ。そんなわけで「呉越」というのは仲が悪いことの例えとして用いられていたそうな。

ではなぜ、そのような仲の悪い「呉越」が「同舟」したのか。それは互いに同じ目的を達成するため、敵同士であることを一旦脇に置いておいて助け合ったということに由来するらしい。らしい、というのは詳細を知らないからだ。果たしてその共通の目的が何であるのか、分からない。という故事が転じて、敵同士が行動を共にすることを、「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」という。

うーん、ひとつ勉強になった。