二度目 | あるキリスト者のつぶやき…

二度目

先週末のことだが土日の二日間掛けて、この前購入したアバターのDVDを見た。私は映画館でも見たので、これが二度目である。我が家のショボイ小さなテレビで見ても、映像の美しさはなかなかである。残念ながら、映画館で見るほどの迫力はなかった。まぁ、家の中だし、夜だし、廊下を隔てて向こう側では子供たちが寝ているので、そんなに音量を上げることはできないのだが。

うーむ、そう考えると、これはiPhoneに落として見たら、自分だけ映画の世界に没頭できるのではないかと、今これを書きながらひらめいてしまった。今度、ヒマができたときにでもやってみようかと。

さて、ストーリーはどのようなものか、すでに知っていたので、そう言った意味では真新しというものを感じることはなかったが、あえてストーリーを知っているが故に、物語の展開をあれこれと考えずにみることができるというのは、同じ映画を二度三度と見ることの利点かもしれない。

物語の展開を気にせずに済んだことと、小さなテレビで、なおかつ音量を下げて見たことで、ずるずると映画の世界に引きずり込まれなかったことで、ちょっとばかり客観的に映画を見ることができたかも。すると、前回見たときには気付かなかったことが、見えてくるのだった。

まず主人公であるジェイク・サリーが分身であるアバターから現実の世界に戻ってきたその瞬間。あれはまるで、夢から覚めたら、悪夢よりもさらに過酷な現実に引き戻された人そのものである。アバターでは生き生きと過ごしていた彼であるが、ひとたび元の体に戻されると、なんとも憔悴しきった様子で描かれている。何というか……あれは感じるところがあるね。

誰でも似たような瞬間は一度や二度ならず、何度とあることだろう。日常ではないけれども、日常よりもリアルでかつ充実しているかのような、そんな時間の過ごした時の、あの感覚である。