難民ばっか
よく分からんが、最近なんでもかんでも難民とつけるのがはやっているようだ。代表的なものでは「ネットカフェ難民」っていうのがあったりする。ざっと「難民」でググってみると、ローン難民だとか、買い物難民だとか、なんでもござれだ。そんな安易に使ってよい言葉でもなかろうに。馬鹿げた風潮としかいえない。これでは本当の難民に申し訳ないと思わないんだろうか。まぁ、難民が意味するのが何であるかが、分かっている人は最初っから、安易に難民難民なんて言わないだろうに。
で、今日は新たに自宅難民って言葉が登場してるのを見つけてしまった。
この記事である。「リビングは妻子が占拠 「自宅難民」どこへ行く」
もう、馬鹿じゃないのかとしか言いようがない。
まず何が馬鹿かって、難民の意味が本来の意味とかけ離れている。家に居場所がないのと、国がない、国に住むことができないというのは全然違うだろう。前者は家がないんじゃなくて、家に居場所がないだけなのである。衣食住に満ち足りているが、自分だけの場所がないってことだ。一方、後者は家すらないのである。
それに一家の主たる夫であり父親である存在が、家に居場所がないとはなんたることか。同じ立場のものとして、何とも情けない。一家の主たるもの、家の中のどこであれ、家族の生活に支障のない範囲でどこでも好きな場所を自分の場所と決めるべきである。
というわけでは、私はちゃんと書斎を持っている。ここは私の場所である。さて、ぼちぼち本棚でも買いたいところである。またアンティークで探してみるかな。
で、今日は新たに自宅難民って言葉が登場してるのを見つけてしまった。
この記事である。「リビングは妻子が占拠 「自宅難民」どこへ行く」
もう、馬鹿じゃないのかとしか言いようがない。
まず何が馬鹿かって、難民の意味が本来の意味とかけ離れている。家に居場所がないのと、国がない、国に住むことができないというのは全然違うだろう。前者は家がないんじゃなくて、家に居場所がないだけなのである。衣食住に満ち足りているが、自分だけの場所がないってことだ。一方、後者は家すらないのである。
それに一家の主たる夫であり父親である存在が、家に居場所がないとはなんたることか。同じ立場のものとして、何とも情けない。一家の主たるもの、家の中のどこであれ、家族の生活に支障のない範囲でどこでも好きな場所を自分の場所と決めるべきである。
というわけでは、私はちゃんと書斎を持っている。ここは私の場所である。さて、ぼちぼち本棚でも買いたいところである。またアンティークで探してみるかな。