願い事なんでも | あるキリスト者のつぶやき…

願い事なんでも

百円ショップで買ってもらったおもちゃの杖(「王国のプリンセス」なんという劇的なネーミング!しかも百円ショップクオリティ、買って2日と経たないうちに折れたり外れたりしてる!)を振り回しながら、長女は妖精になったつもりなのか「どんな願い事でもひとつだけかなえてあげる!」と言ってきた。さて、ひとつだけ叶えてくれるとしたら何がいいだろうかと考えた挙句、こう答えてみた。「どんな願い事でも、何度でも叶えてくれる魔法の杖。」

妖精、答えて曰く「それ以外で。」

私、答えて曰く「んじゃ『うちでの小槌』お願い。」

妖精、答えて曰く「そーゆー、昔のものじゃなくて…。」

しばらくしてから妖精が勝手に願い事を考えてくれたらしい。「それじゃあ、お父さんにはズボンね!」えーっ、何でも叶えてくれるのに、ズボンかい!ズボンくらいだったら自分で買えるのに。妖精さん、もっといいものはないのですか?

さて、父親に聞いても、マジメに答えてくれないので、同じことを母親にも聞いていた。母、答えて曰く「どこでもドア」

妖精、答えて曰く「それじゃあ、お母さんには…えーっと、ワンピースね!」

この妖精、願い事なら何でも叶えてくれる、というわけにはいかないらしい。現実的なものじゃないと、叶えることがないのかなぁ~。だったらあまり妖精の仕事をしていないではないか(^_^;)

それにしても、願い事をひとつだけ叶えることができたらどうするだろうか。やはり私の考えてしまうことは、一度の願いごとでどれだけ自分に利することを実現させるかであろう。一度願い事が叶えられて、それで終わってしまうとしたら、何とも寂しいというか、勿体ないというか、惜しいような気がしてしまう。何を願っても許されるのであれば、どうしたら数ある願い事をすべて実現させることができるだろうかなどと考えてしまう。まさしく願い事に投資ってな感じである。

が、そんなに世の中甘くはない。願い事を叶えてくれる妖精なんていないし、あまたある願い事をすべて叶えようなんて、なおさら無理な話である。

結局のところ、与えられた中で、どのように過ごすかが一番大事なことなのだろう。