聖餐式とは
聖餐式というものがある。さほど多くないキリスト教の「儀式」というか「式典」というか、そういった物の中では、毎月やることなので、一番身近に思えるものである。もちろん、アメリカの教会でもやることだし、日本の教会でもやることである。教団だの教派だの関係なく、私が今までに通ったことのある教会のいずれでも体験したことがある。
聖餐式とは、キリストの体の象徴であるパンと、キリストの血の象徴である「ぶどう酒」を口にして、キリストの死(=十字架での罪の贖い)を再認識することにある。ちなみにパンとぶどう酒であるが、これについての明確な基準、つまりこれでなければいけないという決まりはない。それぞれの教会が自主的に判断しているところだ。ちなみに「ぶどう酒」とは言っているが、実際には私が参加したことのある聖餐式ではすべてぶどうジュースであった。おそらく聖餐式を受ける信仰者のうちには未成年もいるだろうし、飲酒運転の危険性とかもあるだろうし、アルコール依存症からの回復中の方々を慮ってのことでもあるのだろう。あくまでも象徴であるのだから、同じ原料から作られているぶどうジュースでも問題はないはずだ。ちなみにパンについても、アメリカではクラッカーだったし、日本ではクラッカーもあれば食パンもあるという具合で、結構違いはある。キリストの時代には種無しパンが主だったことを考えると、クラッカーの方がオリジナルに近いのかもしれない。ちなみに雑学までに、何事も合理的なアメリカでは、クラッカーとぶどうジュースがパッケージ化された商品も売られていた。おそらく野外礼拝とかで使うのだろうか。ついでに言うと、私の今までの経験から言うと、アメリカではぶどうジュースのカップは使い捨てのプラスチック容器で、日本ではガラス製の洗って使いまわすタイプというのが多いようだ。知らない人は勘違いするといけないから言っておくが、パンもぶどうジュースも一口未満程度である。がっつり食べることを期待してはならないし、おいしいものを期待するのも場違いである。
ところで、アメリカにいる頃の話だが、牧師先生の話を聞きながら眠っていはいけないとガムを噛んでいたんだが、そのうち聖餐式が始まってしまったことがある。捨てればよかったのだろうが、そんな時に限って、包み紙が見つからなかったりで捨てることができない。しばらくしたら、クラッカーが配られたので、なるようになれと思って口に入れてガムと一緒に噛むしかなかった。どうにもガムにクラッカーの破片がこびりついてヘンな感触である。ざらざらしたガムを噛んでいるような感覚。他にどうすることもできないので噛み続けていると、あら不思議!なんか口の中のガム+クラッカーが小さくなってくるじゃないですか!もうちょっと噛んでいると…まるで手品。口の中が空っぽに!もちろん飲み込んだわけじゃないですよ。あれはちょっとした大発見でした。でも、その後は聖餐式の時には、ガムを口にいれたままにしないようになったね。
あぁ、またロクでもない話で、字数を使っちまった。
聖餐式とは、キリストの体の象徴であるパンと、キリストの血の象徴である「ぶどう酒」を口にして、キリストの死(=十字架での罪の贖い)を再認識することにある。ちなみにパンとぶどう酒であるが、これについての明確な基準、つまりこれでなければいけないという決まりはない。それぞれの教会が自主的に判断しているところだ。ちなみに「ぶどう酒」とは言っているが、実際には私が参加したことのある聖餐式ではすべてぶどうジュースであった。おそらく聖餐式を受ける信仰者のうちには未成年もいるだろうし、飲酒運転の危険性とかもあるだろうし、アルコール依存症からの回復中の方々を慮ってのことでもあるのだろう。あくまでも象徴であるのだから、同じ原料から作られているぶどうジュースでも問題はないはずだ。ちなみにパンについても、アメリカではクラッカーだったし、日本ではクラッカーもあれば食パンもあるという具合で、結構違いはある。キリストの時代には種無しパンが主だったことを考えると、クラッカーの方がオリジナルに近いのかもしれない。ちなみに雑学までに、何事も合理的なアメリカでは、クラッカーとぶどうジュースがパッケージ化された商品も売られていた。おそらく野外礼拝とかで使うのだろうか。ついでに言うと、私の今までの経験から言うと、アメリカではぶどうジュースのカップは使い捨てのプラスチック容器で、日本ではガラス製の洗って使いまわすタイプというのが多いようだ。知らない人は勘違いするといけないから言っておくが、パンもぶどうジュースも一口未満程度である。がっつり食べることを期待してはならないし、おいしいものを期待するのも場違いである。
ところで、アメリカにいる頃の話だが、牧師先生の話を聞きながら眠っていはいけないとガムを噛んでいたんだが、そのうち聖餐式が始まってしまったことがある。捨てればよかったのだろうが、そんな時に限って、包み紙が見つからなかったりで捨てることができない。しばらくしたら、クラッカーが配られたので、なるようになれと思って口に入れてガムと一緒に噛むしかなかった。どうにもガムにクラッカーの破片がこびりついてヘンな感触である。ざらざらしたガムを噛んでいるような感覚。他にどうすることもできないので噛み続けていると、あら不思議!なんか口の中のガム+クラッカーが小さくなってくるじゃないですか!もうちょっと噛んでいると…まるで手品。口の中が空っぽに!もちろん飲み込んだわけじゃないですよ。あれはちょっとした大発見でした。でも、その後は聖餐式の時には、ガムを口にいれたままにしないようになったね。
あぁ、またロクでもない話で、字数を使っちまった。