長野病 | あるキリスト者のつぶやき…

長野病

毎度のことではあるけれど、長野から帰ってしばらくの間は、長野に移住してみるのもいいかもなと考えてしまう。これが「長野病」である。似たものに「シアトル病」と言うものもある。もっともこちらは慢性的なものらしく、シアトルに行こうが行くまいが症状にたいした違いはない。

残念ながら、これらの病に対する効果的な治療法はない。長野に引っ越すか、シアトルに引っ越すかしない限りは、まず治る見込みはない。かといって、そうすれば完治するという保証もないので、なんとも厄介なものである。

どこか恋わずらいに通じるものがあるだろう。思い焦がれる対象が、人か場所かの違いがあるくらいだろうか。別の言い方をすれば、無い物ねだりということだろうか。

などと考えてみるのだが、どだい無理なことのようにも思える。なんせ今ある生活の土台を捨ててしまっては、職なし家なしになってしまって路頭に迷ってしまうだろう。私一人が野垂れ死ぬならまだしも、家族四人に不便を強いるわけにもいくまい。

それならもう少し頻繁に長野まで旅にでれば良いのかもしれない。せめて長野の四季、春夏秋冬をそれぞれ堪能するだけでもできるのならば…と考えてしまう。それならば不可能なことでもないような気がするけど…現実に立ち返って考えてみると、今の車では雪道を走ることができないのである。

ふぅーむ。なかなか難しいものだ。これはもう持病であるな。