幼稚園の納涼会でふと思った
いまさら言うまでもないが、私はクリスチャンである。そう見えないかもしれないし、それらしく生活しているかと言えば、それはちょっと疑わしいが、それでもクリスチャンであることに違いはない。私の妻もクリスチャンである。我が家の娘たちはどうであるかというと、それは親が決めることではないだろう。
とは言っても、キリスト教の理念に基づいた教育を、せめて幼稚園の頃くらいは受けさせたいと思ったので、区内のキリスト教系の幼稚園に入園させたのである。というのは、だいぶ前の話で、うちの娘も今は年長さんの一学期目を終えたところだ。
ちなみにその幼稚園、キリスト教系とはいってもプロテスタントではなく、カトリックである。プロテスタントとカトリックの違いを今は述べるつもりはないが、どちらも同じキリスト教で同じ神様を礼拝し、同じ聖書を読んでいるから根本的なところでは違いがないのだが、それ以外のところでは若干の違いがある。まぁ、それはそれでもいいだろうと思う。すべてがすべて同じで、若干の違いも許容できないとすれば、それは恐ろしい思考だ。
さて難しい話は置いておくとして、今日はその幼稚園で納涼会が開かれたのだ。ところが、キリスト教らしさというものが全く感じられなかった。いやいや、それどころか、教会の敷地内で教会の人たちがビールを販売したり、盆踊りがあったりと、どうも教会らしくないのである。
もちろんクリスチャンがビールを飲んではいけないとか、盆踊りに行っちゃいけないとか言うつもりはない。それは個人の自由であるし、キリスト信仰とはそのような決まりごとを定めて人を縛り付けるのが目的ではない。むしろその反対である。
しかしふと思うのである。もちろんこれは私の主観でしかないのだが、せっかく教会の敷地内で納涼会を開くのであれば、もう少しその機会を用いて神のことばを人々に広めるために使えばよいのにと思うのだ。それが教会の使命のひとつではないだろうか。そこにプロテスタントだのカトリックだのといった違いはないと思うのだが…。
世間で生きるのなら、世間のルールに従わないといけない場合があるだろうが、教会の中であれば、教会としての特権を用いたとしても何ら不自然なことはないだろうに、それどころか教会の外の世界に調子を合わせてしまうのは、何かもったいないような気がしてならないのだ。
とは言っても、キリスト教の理念に基づいた教育を、せめて幼稚園の頃くらいは受けさせたいと思ったので、区内のキリスト教系の幼稚園に入園させたのである。というのは、だいぶ前の話で、うちの娘も今は年長さんの一学期目を終えたところだ。
ちなみにその幼稚園、キリスト教系とはいってもプロテスタントではなく、カトリックである。プロテスタントとカトリックの違いを今は述べるつもりはないが、どちらも同じキリスト教で同じ神様を礼拝し、同じ聖書を読んでいるから根本的なところでは違いがないのだが、それ以外のところでは若干の違いがある。まぁ、それはそれでもいいだろうと思う。すべてがすべて同じで、若干の違いも許容できないとすれば、それは恐ろしい思考だ。
さて難しい話は置いておくとして、今日はその幼稚園で納涼会が開かれたのだ。ところが、キリスト教らしさというものが全く感じられなかった。いやいや、それどころか、教会の敷地内で教会の人たちがビールを販売したり、盆踊りがあったりと、どうも教会らしくないのである。
もちろんクリスチャンがビールを飲んではいけないとか、盆踊りに行っちゃいけないとか言うつもりはない。それは個人の自由であるし、キリスト信仰とはそのような決まりごとを定めて人を縛り付けるのが目的ではない。むしろその反対である。
しかしふと思うのである。もちろんこれは私の主観でしかないのだが、せっかく教会の敷地内で納涼会を開くのであれば、もう少しその機会を用いて神のことばを人々に広めるために使えばよいのにと思うのだ。それが教会の使命のひとつではないだろうか。そこにプロテスタントだのカトリックだのといった違いはないと思うのだが…。
世間で生きるのなら、世間のルールに従わないといけない場合があるだろうが、教会の中であれば、教会としての特権を用いたとしても何ら不自然なことはないだろうに、それどころか教会の外の世界に調子を合わせてしまうのは、何かもったいないような気がしてならないのだ。