県民から見た東京都議会選挙 | あるキリスト者のつぶやき…

県民から見た東京都議会選挙

今朝の新聞に、昨日行われた東京都議会選挙の結果が載っていた。私は東京都民でもないし、基本的に政治と経済には疎いので、あまり細かいことは言わない。

さて、そこでどのような理由からどの政党の候補者に投票したかのインタビューの結果が載っていたのが、なんというか…呆れてしまった。24歳の大学院生、国内最高学府の学生である、私のように金がなくて、通いたくても通うことのできない身分からしてみれば何ともうらやましい立場である、きっとさぞかし立派なことを言ったのだろうかと思いきや、就職先が見つからないから民主党候補に投票したそうな。この野郎はマジで馬鹿かと。就職先が見つからないのは政策のせいではないだろう、この程度のことを抜かすヤツは、そりゃー就職先は見つからないだろうなと思ってしまった。

これは雑感であるが、どうも民主党候補に投票した人のインタビューを見ると、感情的というか、言っちゃ悪いが、知性が感じられない。庶民的な候補者だったからとか…政治家に庶民的なものを求めてどうするのかと思ってしまう。

「庶民的」イコール「良い人」とでも考えているんだろうか。本気でそう考えているんだったら、神経というか知性を疑ってしまう。

いわゆる庶民というのは、一般人のことだろうが、一般人がそんなに良い人かというと、そうでもないだろう。庶民は駐輪禁止の場所に堂々と自転車を止め、電車の中では一人で二人分の座席を占有し、路上でタバコを堂々と吸い、吸殻をポイ捨てする…これが庶民である。庶民なんて、こんなもんであろう。自分のことしか見えていない。ことに今の日本人を見ていると譲り合いの精神も見られないし、自分が良ければ、それでいいと考えているような印象しか受けない。そんな「庶民」が「庶民の気持ちの分かる政治家」を求めているとしたら世も末である。そしてそれをアピールする政治家も、これまた大衆に迎合しているとしか思えない。

民衆を喜ばせることが政治なのであろうかと言えばそうではないだろう、というのが私の意見である。民衆からは非難されても自らが正しいと信じたことを実現させるために苦心するのが、政治家の本来あるべき姿なのではないだろうか。もっともそんな政治家は今はいないのかもしれないが。