地方紙の論説委員
何年か前にキリスト教系の雑誌に-雑誌と言っても発行部数は僅かであろうが-エッセイを投稿していたことがある。6ヶ月の連載で2年なので、合計すると12回になった。微々たるものだったが原稿料もちゃんとあった。もっとも千円の図書カードとその雑誌十部を原稿料と呼ぶのであればの話であるが。
図書カードは子供の絵本を買ったりするのに役に立ったが、雑誌十部というのは…ちょっと困ったものだ。人にあげるくらいしかない。初めの頃は妻が配っていたようだが、後の方ではそうすることもなくなったようだ。無駄に場所をとっていたので、結局私がある日思い立って捨ててしまった。さて人に配るほかに、親父にも2部渡していた。ひとつは実家で読むために、もうひとつは長崎に住む叔父に親父が送るためだったそうな。遠方に住んでいるが故に、幼い頃から叔父と直接話しをしたこともなければ、近況も伺ったわけではないので、何がきっかけかは分からないが、叔父もクリスチャンになったとのことらしい。それもあって親父はそうしていたのだろう。
身びいきってのもあるだろうが、叔父に言わせると私の書いたエッセイは田舎の新聞の論説委員の書いたものより面白いとのことだった。田舎の新聞の論説を読んだことがないので何ともコメントのしようがないが、相手は玄人、こちらは素人である。甥っ子だからというのがあるかもしれない。が、そのようなコメントは単純に嬉しいものである。
日々研鑽して名実ともに物書きとして認められるようになりたいものだ。

図書カードは子供の絵本を買ったりするのに役に立ったが、雑誌十部というのは…ちょっと困ったものだ。人にあげるくらいしかない。初めの頃は妻が配っていたようだが、後の方ではそうすることもなくなったようだ。無駄に場所をとっていたので、結局私がある日思い立って捨ててしまった。さて人に配るほかに、親父にも2部渡していた。ひとつは実家で読むために、もうひとつは長崎に住む叔父に親父が送るためだったそうな。遠方に住んでいるが故に、幼い頃から叔父と直接話しをしたこともなければ、近況も伺ったわけではないので、何がきっかけかは分からないが、叔父もクリスチャンになったとのことらしい。それもあって親父はそうしていたのだろう。
身びいきってのもあるだろうが、叔父に言わせると私の書いたエッセイは田舎の新聞の論説委員の書いたものより面白いとのことだった。田舎の新聞の論説を読んだことがないので何ともコメントのしようがないが、相手は玄人、こちらは素人である。甥っ子だからというのがあるかもしれない。が、そのようなコメントは単純に嬉しいものである。
日々研鑽して名実ともに物書きとして認められるようになりたいものだ。