便所で、悟り | あるキリスト者のつぶやき…

便所で、悟り

自分は幸せ者なのかもしれない。

そんなことを今朝、便所に入っていたら考えていた。

便所だけが我が家で唯一窓のない空間である。これからの時期、何が辛いって、便所で用を足すのが辛い。なぜって汗だくになってしまうからだ。シャワー便座はありがたいが、いっそのこと体全体の汗を流してくれたらいいのに、と思ってしまう。が、下から水が出てくるのを体で浴びちゃったら、甚だ不衛生である。便座を暖める機能があるのなら、エアコン的な機能を持ち合わせた便座があっても良いではないだろうか。

まぁ、便座の話はおいておくとして、こんなこと思った。

仕事はつまらないし、給料だって悪くはないだろうけど、だからと言って良いと言うわけでもない。通勤片道1時間半かけて、不本意ながら雑用みたいな仕事をやらされて、大して仕事ができるとも思えない人たちにこき使われて…はっきりいって割りに合わないと思う。

休みの日は休みの日で、家のことだの、マンションの管理組合のことだのであれこれせわしなく動き回って疲れが取れるわけでもない。

私の身を取り巻く様々なことを数えてみると、満足に思うことよりも、不満に思うことのほうが数が多いような気がする。

それでもなぜか私は幸せ者だと思えるのだ。とくにこれと言った説明できるような理由があるわけでもない。ただ感覚としてそう思えるのである。だからといって、ない物ねだりをしても、何も得られるものはないと、諦めのような思いでいるわけでもない。

なぜ幸せ者だと思うのか?もしかしたら、将来に対する思いがあるからなのかもしれない。今は大して面白くもないことばかりが続いているが、いつかそのうち良いこともあるかもしれないと、そう思っているからだろうか。よく分からない。良くは分からないが、夢を持ち続け、目的を持ち続けることだろう。そのために努力とか何かをするかは、二の次であろう。まずはそのような「思い」とか「気持ち」とかを捨てないことだろう。

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