跳べない跳び箱 | あるキリスト者のつぶやき…

跳べない跳び箱

今日は長女の通う幼稚園にて運動会が行われた。

雨が降らなかったのは良かったのだけれども、なんといっても強い日差しが体に堪えた。何もしなくても体の中の力が、どんどん流れ出てしまったような気になる。実際流れ出たのは汗でしかないのだが。

さて種目の一つに障害物競争のようなものがあった。まず縄跳びを跳びながら走っていくことから始まるのだが、縄跳びが結構好きな長女にとっては、障害と呼ぶには値しないようだった。

続いて、鉄棒。娘は逆上がりもできるので、鉄棒も障害ではない。

その次は、でんぐり返り。家の中でもやっているのでどうってこともない。

次は、地面の上に並べられたフラフープを「けんけんぱー」の要領で通っていく。実際には一列に並べられているので、「けんけんぱー」よりも簡単である。

その次はゴム跳び。特に決まりがあるわけでもなく、単純にゴム紐を飛び越えていくだけである。これも難なく通過。

さて、締め括りは、跳び箱である。ひとつは五段、もうひとつは六段。いやいや、ここは幼稚園である。六段といっても幼稚園児の背丈よりも低い。付き添いの体育の先生が手伝ってくれるので、なんとかジャンプすれば行けそうなものである。ほとんどの子供たちは六段の方を跳んでいた。

そこで、わが娘の番である。慎重なのか臆病なのか、はたまた自信がないのか、五段の方を選んで…ダッシュして…踏切板でジャンプして…

…ペタリ。

と、物の見事に、跳び箱の上に着地。それも半分より手前の方に。見てると、そのままずり落ちてくるんじゃないかと思ってしまったくらいである。

まるで自分の子供の頃の姿を見ているのではと思ってしまった。かく言う私自身も跳び箱は跳べなかったのである。というか私の記憶にある限りでは跳び箱が跳べたということがない。馬跳びは全然問題なく跳べるのだが、なぜか跳び箱はからっきしダメだったのである。蛙の子は蛙、という言葉の通りじゃないか。

なぜ長女は、というか私もであるが、跳び箱を跳べないのだろうか。運動神経は良くないかもしれないが、自分の身長よりも低いものを飛び越すのにさ運動神経もへったくれもないだろう。娘は跳び箱以外は何の問題もなかったのであるから。

要するにあれである。跳び箱を前にするとビビッてしまうのである。目の前にある高い「壁」に圧倒されてしまい、跳躍する気力や努力が一瞬にしてすっ飛んでしまうのだ。

そう考えると、人間の気力っていうのは、本当に人を動かすことができるのだろう。出来ると思えば出来るし、出来ないと思っていては何事もできないのだ。何かを成し遂げたいと思うのであれば、まずは何よりも「自分は出来る」と信じることが大事なのだろう。

聖書には「神に不可能なことはない」というようなことが書いてあったような気がする。どんなに不可能に思えることであっても、自分にはそれを起こすだけの能力がなかったと思えたとしても、神を通して出来ると信じさえすれば、何だって出来るのではないだろうか。

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