忍耐と希望…希望?? | あるキリスト者のつぶやき…

忍耐と希望…希望??

明日から日曜まで休暇。休暇と言っても会社の仕事をしないでよいだけで、家のことを色々とやらなければいけないので、本当の意味では"休み"ではないな。一体、いつになったら私は本当の休暇というものを得ることができるのであろうか。


それでは、今夜も地道に聖書を読んでいこうか。まだローマ書8章の途中だったかな。時にペースが速くなったり、時に遅くなったり…本当に気まぐれである。


「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 (28節)


私の好きな箇所のひとつである。


今まで散々に、たとえ信仰があっても、人は罪に束縛されていると書いてきた。だからといって、それを負い目に感じたり、それを不安に思ったりする必要はないのである。人間として私たちに罪があるからといって、神は私たちを懲らしめようなどとは微塵も思っていないのである。


それどころか、私たちの心が神に向いている限り、神は私たちのために「すべてのことを働かせて益としてくださる」のだ。


これは必ずしも私たちが困った目に遭わないで済むようにとか、苦労しないで済むようにとか、そんな生易しいことを意味しているわけではない。それだったら、世のクリスチャンというのは苦労知らずで生きているはずである。歴史を見ても、クリスチャンはどちらかというと迫害にあったりして苦しんでいるようなことが多いようである。


いずれにせよ、自分自身を見ても苦労と困難の連続である。GWものんびりできないことだって、ある意味苦労であることに違いない。


そう、今の状況は必ずしも良いものとは言えない。これが現実なのである。事実なのである。お世辞にも「益」とは言えない。しかし、肝心なことは、神はこれらのことを通して、私たちにとって良いものを与えようと考えているということだ。それは果たして何であろうか。


色々な考えがあるだろうが、私はこう考える。それは、以前5章について書いた時に述べた「忍耐」のことではないだろうか。そして、この忍耐から希望が生まれるのだ。


では、希望って何だろうということになるかもしれないけど、それはもう一度5章を読み直すべきか…。なんか堂々巡りになってしまいそうな気がしなくもないが、それはじっくり整理してみる必要があるだろう。