イースターイブ
2時間くらいまとまった時間をとってドラムの練習をすることができた。家じゃないよ、教会でね。ドラム、面白いね。でも…難しい。ギターと合わせてみたんだけど、なかなかどうして…うまくいかない。ひたすら練習あるのみ。家にもドラムが欲しいけど、さすがに置き場所がないし、マンションじゃねぇ。せめて一軒家だったらいいんだけど、今はスティックだけで我慢しよう。また、よりによって一般家庭におくことのできないような楽器にはまってしまったもんだ。
明日はイースター(復活祭)だ。イエス・キリストの復活を祝うクリスチャンにとっては重要な日。でも、いつも思うことがある。金曜に十字架につけられて墓に葬られて、日曜によみがえって…じゃ、土曜日は!?って。墓の中?まぁ、イエスの肉体は埋葬されたままであっただろうけど、イエスの魂はどこに行っていたのだろうか。
使徒信条には「黄泉に下り」とあるけど、さてはて、本当はどうなんだろうか。色々な解釈があるけど、私の考えはこうである。あくまでも私の個人的な解釈だけどね。
使徒信条が伝えるように、イエスは「黄泉」、つまり天国でも地獄でもない場所(まぁ、強いて言えば「あの世」ということになるのだろうか)に行ったのだと私は思う。そして、地上で彼がそうしてきたように、福音を伝えたのではないだろうか。そして、黄泉にいた人々でもキリストを信じれば、やはり救われたのだろう。
自分もクリスチャンであるが、クリスチャンって「信じていれば天国に行く」と考えている。これはいいだろう。それが信仰というものだから。ところが、厄介なことに「信じていなければと地獄に行く」と単純に考えているクリスチャンもいるということだ。
ちょっと待った。これって無神経過ぎないか?
福音を聞いたことのないまま亡くなった人、福音を聞いてもなかなか決断をすることができずに亡くなった人だって大勢いるはずだ。みんな地獄に直行?それはいくら何でも残酷過ぎる。神学的にはそれが正論だとしても、神がそんな無慈悲なことをするとは思えない。聖書が伝える神のイメージにどうしてもそぐわないのだ。
だから私はこう考える。
信仰を持たないまま死んだら、人は黄泉の世界に下る。そして、そこで今一度福音を聞くのだ。そうすれば、全員福音を聞くことになって、全員に信じるチャンスが与えられるわけでしょ。それが公平だと思う。そこで信じれば、人は救われる。それでも信じなければ、それはその人の自己責任ということになる。
神が公平な方で、慈愛に満ちた方であるなら、そう考える方が自然だと思う。「未信者は地獄へ行く。」平気でそう考える人は、冷酷というか、信仰者としての驕りとしか思えない。