練り上げられる
おぉっと。またランキングが下がっているぞ。目立つようなキーワードをいれていないからかな?ランキングがあがったからどうってわけじゃないけど、やっぱ下がると悔しいじゃん。それじゃあ、何か目立つようなキーワードでも入れてみようかな。
今日のキーワードは…思いつかないし…。やっぱせこいこと考えるといけないのか!?
とまぁ、それはそれでおいといて、真面目(?)に書き進めて行きましょう。今夜もローマ書5章の続き。まだ2節で止まっているよね…ってことで、3節から。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」 (3~4節)
「患難」ってあまり聞く言葉じゃないよね。これが出てくるのはキリスト教関連のモノぐらいじゃないかな。さすがのATOKもこれは変換してくれなかったよ。意味としては「艱難」とさほど違わないと思う。字を見れば分かるとは思うけどね。つまりは、困難だの苦しみだの悩みだのといった、要するに人に辛い思いをさせるものなのである。
しかし、本当にそのような苦しみを喜ぶことができるのだろうか?
いくら何でもそれは無理である。超真面目なクリスチャンならいざ知らず、私のような自我の強い、まだまだ神様によって練られなければならないようなクリスチャンにはとてもじゃないけど、無理な話である。イヤなものは…やっぱイヤだ。辛いモノは、誰が何と言おうと辛いのである。
でも、読み進めていくと見えてくることがある。必ずしも、辛いことそのものを喜ぶ…というわけではないのである。人が本当に喜ぶべきものは「希望」なのである。この希望が何であるかっていうのは、後日見るとしよう。
しかし、ここだけ見てもこれだけは確かである。まずは艱難辛苦を耐えることが大事である。なぜなら、そこから忍耐することを人は学ぶからだ。そして、忍耐を学ぶことで、人は人として、さらに成長するのである。すなわち、人として練り上げられるのだ。そして練り上げられた人は、困難な状況にあっても自己憐憫に浸ったり、人に怒りの矛先を向けたりはしないのであろう。そのような人は、いかなる状況にあっても、目先の様々なものに惑わされることなく、今より先にあるものを見て、そこに希望を見いだすのかもしれない。
これについては、クリスチャンであろうとなかろうと、大事なことなのかもしれないね。明日は、クリスチャンの希望について見ていこうと思う。