神との平和!
今日はローマ書5章。今日の箇所、内容が実に濃い。感動的なくらいに濃い!せっかくなので、何度かに分けて書いてみようかと思う。一度だけで終わらせるのは、なんか勿体ないくらいだから。
まず出だしからして印象的である。前の4章は信仰によって人は義と認められるというところまで書いてあった。その流れを引き継いで、5章の始まりは「信仰による義」の結果として、私たちに何が与えられているかが書かれている。そう、信仰を持って義とされることが終わりではないのである。そこから信仰生活、神と共に歩むことが始まるのである。では、人は何を手に入れて信仰の歩みを始めるのだろうか。それは、「神との平和」である。
神との平和とは、すなわち"罪に生きてきた生活"と"神のいる生活"との間に描かれたラインがあるとして、そのラインを越えて神の側へと移ったことになるのだ。つまり、もはや自分の犯した過ちからくる不安や心配や悩みといったものから解放されるのである。(もっとも解放されるといってもすべての不安がなくなるというわけでもないが、心を暗くしていた大きな不安は取り除かれるのだ。)
そして神との平和とは、それらの罪のために神が私を罰すのではないかという恐れからの解放でもある。「私は数々の過ちを犯した。だから必ずやその見返りで何か悪いことが起こるに違いない。」そう考える必要がないのである。
もっとも「天罰」というのは、キリスト教的な考えではないが、それでもそのような恐れとか不安とかいうものは自然と人の心を蝕んでいるものであろう。事実、クリスチャンになる前の私がそうであった。神という存在は、常に恐怖の対象でしかなかった。そして、クリスチャンになって最初に感じたことは、まさしく「神との平和」なのである。
そう、信仰を持って義とされることは、神を恐れの対象として見ることから、神を頼れる友として見ることへの最初のステップなのである。
What a friend we have in Jesus,
all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
everything to God in prayer!