天に向けられた指
やっと辿り着きました。ローマ書2章。
出端を挫くかのような1節の言葉。「あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。」
人を指さす時、一本の指は相手に向けられているが、3本の指は自分自身に向けられ、1本は天に向けられていると聞いたことがある。
忘れてはならないのは、人を裁こうとする自分自身が、実は裁かれるに値する者であるということだ。私はクリスチャンである。でも、クリスチャンであるということと、義人であるということはまったく別である。いや、むしろ義人でないからキリストを受け入れたのである。そのような私に人を裁く権利があるだろうか。答えは明白である。私に人を裁く権利なんか少しもない。相手を非難する思いは、そのまま自分を非難することにつながるのだ。
また、人を裁くことは、その人を愛する神の気持ちを忘れていることではないのか。神はすべての人を愛しておられるのである。善人だから愛する、悪人だから愛さない…神はそのような分け隔てをする方ではないのだ。そのような区別をつけるのは、所詮、人の思いや気持ちや考えといったものでしかない。神の愛の深さというのは、まったく人の理解を超えたものであることを忘れてはなるまい。そのような神を差し置いて、人のことを裁こうとするのは、これはまさしく越権行為であろう。
もっとも、治安秩序を維持するために犯罪を裁くための司法制度は必要である。しかし、それはあくまでも法が裁くのであって、人が裁いているわけではない。
人は人を裁いてはいけないのだろう。しかし、それは本当に難しいことである。口に出すことがなくとも、私の胸の内では他人を裁こうとする気持ちがあるからだ。まだまだ、私は足りない者である。