ヨーヨーみたいな信仰 | あるキリスト者のつぶやき…

ヨーヨーみたいな信仰

まだまだ1章から…怠けてるわけではないけど、思うところがいろいろあるから、なかなか先に進みませんね。本当だったら、1日1章のペースで進むはずだったんだけど、まぁ、たまには少し歩みを遅くしても構わないでしょう。


さて、29~31節にはこのようなことが書いてある。「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」彼らとは、すなわち神を知ろうとしない者、神を知りたがらない者(28節)のことである。そのような者は、ここで書かれているような「悪い思い」に引き渡されるという。


どうも極端な言い方に思えることは否定できない。それに現実のこととして、神を知らない者でも善い人というのはたくさんいる。神を知らない=悪い人、だったらこの社会は成り立たないはずである。それを考えると、この聖書の箇所の意味って何だろうって思う。ちゃんと調べて勉強すれば、その背景が見えてくるだろうし、その意味というのも分かってくるのだろうが、ぱっと見ただけ(読んだだけ)では、いまいち理解に苦しんでしまう。そもそも人を悪い思いに駆り立てるとは、どうも神様らしからぬ言いぐさである。


だから、細かいことは正直分からない。


でも、これは分かるような気がする。もし、私がここに書かれているような「悪い思い」を抱くことがあれば、それは私が神から距離をおいていることを意味するのだろう。


そう考えると、私の信仰っていうのは、まるでヨーヨーのような気がしてならない。神に近づき、神から離れ、神に近づき、また離れ…日々、そんなことの繰り返しのような気がする。