理想と現実、板挟み
数年前、まだ結婚する前、まだ未熟であった頃、私は一時的な転職熱に掛かっていた。仕事が楽しくなかったという理由もあれば、もっと給料の良い職場に行きたいという思いもあった。また、英語力を使う機会が欲しいという思いもあった。しかし、転職するということは一度もなかった。結局、理想に適う転職先が見つからなかったということと、私の市場における価値が相手にとってはさほどのものでもなかったのであろう。なんだかんだ言いつつも、ひとつの会社でずっと働いていると不平や不満があったとしても、妙な愛着が湧くというか、不思議と居心地がよくなってしまうのである。
とは言っても、やはり今でも自分の内のどこかに、仕事を変えたいという思いがあることも否定はできない。今でこそ、給料についてはそれほど不満に思わなくなってきたが(給料が上がったというよりも、私が充足するということを学んだから)、システムエンジニアという技術職にどうしても馴染めないのである。かといって、私に能力がまるでないというわけでもない、文系出身であるにも関わらず、業務を遂行するに足りるだけの技術力はあると思う。でなければ、リーダーにまでならないだろう。そう、要するに技術系の仕事に興味が持てず、好きになれないだけなのである。
では、私は何に興味があるのだろうか、何をしたいのだろうか?その答えはこれである。プロフィールや↑にあるブログの説明にもしつこく書いてあるように、作家…とまでは行かなくても、もっとアナログなメディア「言葉」や「文字」を扱うことをしたいのである。もっともそちらの業界の内情というか、実態が分からないので、私の個人的な理想や憧れでしかないのかもしれないが…。給料据え置きで、そっち方面の働き口があったらひょいひょいと移ってしまいそうである。
しかし、現実は厳しいものだ。家族を支えるという責任が私にはある。当然のことながら、自由気儘に多少のリスクを犯してでも理想を追求する自由は許されない身であるのだ。
理想と現実、自由と責任…人というのは常に相反するモノの板挟みとなって生きていくものなのかもしれない。
とは言っても、やはり今でも自分の内のどこかに、仕事を変えたいという思いがあることも否定はできない。今でこそ、給料についてはそれほど不満に思わなくなってきたが(給料が上がったというよりも、私が充足するということを学んだから)、システムエンジニアという技術職にどうしても馴染めないのである。かといって、私に能力がまるでないというわけでもない、文系出身であるにも関わらず、業務を遂行するに足りるだけの技術力はあると思う。でなければ、リーダーにまでならないだろう。そう、要するに技術系の仕事に興味が持てず、好きになれないだけなのである。
では、私は何に興味があるのだろうか、何をしたいのだろうか?その答えはこれである。プロフィールや↑にあるブログの説明にもしつこく書いてあるように、作家…とまでは行かなくても、もっとアナログなメディア「言葉」や「文字」を扱うことをしたいのである。もっともそちらの業界の内情というか、実態が分からないので、私の個人的な理想や憧れでしかないのかもしれないが…。給料据え置きで、そっち方面の働き口があったらひょいひょいと移ってしまいそうである。
しかし、現実は厳しいものだ。家族を支えるという責任が私にはある。当然のことながら、自由気儘に多少のリスクを犯してでも理想を追求する自由は許されない身であるのだ。
理想と現実、自由と責任…人というのは常に相反するモノの板挟みとなって生きていくものなのかもしれない。